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ワシーリー・ワシリエヴィッチ・アンドレーエフ : ウィキペディア日本語版 | ワシーリー・アンドレーエフ
ワシーリー・ワシーリエヴィチ・アンドレーエフ(, 1861年1月15日 - 1918年12月26日)は、ロシアの民族楽器演奏家、指揮者、作曲家。バラライカをはじめとするロシアの民族楽器を復元・改良し、バラライカ・アンサンブルやロシア民族楽器オーケストラの活動を通じてこれらの楽器とロシア民謡の普及に努めた。 == 概要 == アンドレーエフは、その生涯と全財産をバラライカの改良と普及に捧げた。22歳のときに農奴の弾く自作バラライカに魅せられ、楽器職人らと協力して楽器の構造や材料を改良、現在の演奏会用楽器の基礎を作り上げた。その後、様々な大きさによって音域別としたバラライカ群をS.I.ナリーモフに設計・製作させ、1888年にバラライカ・アンサンブルを結成、1897年にはドムラとグースリを加えたオーケストラへと発展させた。 アンドレーエフは、これら民族楽器の演奏を通じて、ロシア民謡の保存とともに民衆の啓蒙活動や愛国心の醸成に取り組んだ。そのため、ロシア民謡から芸術音楽まで幅広いレパートリーを組み、ロシア国内外で一大ブームを起こした。 「皇帝のソリスト」の称号を持ち、歌手フョードル・シャリアピンや作曲家アレクサンドル・グラズノフらとの親交でも知られる〔ロシア音楽事典 p.21〕。バラライカ独奏やロシア民族楽器オーケストラなどのためにロシア民謡やクラシック音楽を編曲し、ワルツ、マズルカ、ポロネーズなどのオリジナル曲も30曲以上作曲した。アンドレーエフの作品の多くは平易な形式とサロン風の優雅な曲調であるが、『スコモローフの踊り』と『月は輝いている』(ロシア民謡の編曲に基づく変奏曲)は民族音楽的な位置にある〔ポポノフ p.116〕。
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