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ワフー・マクダニエル( "Chief" Wahoo McDaniel、本名:Edward Hugh McDaniel、1938年6月19日 - 2002年4月19日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー、アメリカンフットボール選手。オクラホマ州バーニス出身のチョクトー・チカソー族インディアン。 プロレスラーとしての現役選手時代は、羽飾りのコスチュームや得意技のトマホーク・チョップなど、自身の出自であるインディアン・スタイルで活躍。ラフファイトにも強いベビーフェイスとして絶大な人気を誇った。日本では「狼酋長」の異名を持つ。 == 来歴 == === キャリア初期 === 学生時代からレスリングとアメリカンフットボールを両立させながら活躍。カレッジ卒業後にAFLのヒューストン・オイラーズ(現・テネシー・タイタンズ)にラインバッカーとして入団〔。フットボールと並行してドリー・ファンク・シニアからレスリングのトレーニングを受け、1961年にプロレスラーとしてデビュー。以降1968年まで、AFLのオフシーズンにプロレスの試合を行うという二足のわらじで活動する。また、1966年のマイアミ・ドルフィンズ創設時のメンバーでもある。 1965年のオフシーズンには、1月末から7月末にかけて半年間WWWFに出場し、ワルドー・フォン・エリック、カウボーイ・ビル・ワット、ゴリラ・モンスーン、ジン・キニスキーなどの強豪ヒールと対戦。WWWF世界ヘビー級王者のブルーノ・サンマルチノともタッグを組み、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンではボリス・マレンコやドクター・ジェリー・グラハムから勝利を収めた。 1969年からはプロレスに専念し、フリッツ・フォン・エリックが主宰していたテキサス州ダラス地区を主戦場に活動。NWAテキサス・ヘビー級王座を争ったジョニー・バレンタインをはじめ、キラー・コワルスキー、キラー・カール・コックス、バロン・フォン・ラシク、ブル・ラモス、トール・タナカ、ヒール時代のダスティ・ローデスらと抗争を展開する。タッグでは黒人のサンダーボルト・パターソンやイタリア人のトニー・パリシとのマイノリティ・コンビで活躍し、1970年にはロサンゼルスからテキサスに転戦してきたミル・マスカラスとも共闘した。同年3月3日には、フリッツ・フォン・エリックの代打でドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に挑戦、60分時間切れ引き分けの死闘を演じている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワフー・マクダニエル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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