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ワルシャワ蜂起 : ウィキペディア日本語版
ワルシャワ蜂起[わるしゃわほうき]

ワルシャワ蜂起(ワルシャワほうき、ポーランド語:Powstanie Warszawskie)は、第二次世界大戦末期、ナチス・ドイツ占領下のポーランドの首都ワルシャワで起こった武装蜂起である。
==経過==

===蜂起===

1944年6月22日から開始された赤軍によるバグラチオン作戦の成功によりドイツ軍中央軍集団は壊滅、敗走を重ねた。ドイツ軍は東部占領地域に再編成・治安維持のために駐屯する部隊をかき集めて戦線の穴を埋めて防戦に努めた。
赤軍占領地域がポーランド東部一帯にまで及ぶと、ソ連はポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけた。7月30日には赤軍はワルシャワから10kmの地点まで進出。占領も時間の問題と思われた。ポーランド国内軍はそれに呼応するような形で、8月1日、ドイツ軍兵力が希薄になったワルシャワで武装蜂起することを赤軍と打ち合わせた
7月31日、ドイツ軍が猛反撃を行い赤軍は甚大な損害を被る。さらに赤軍は補給に行き詰まり、進軍を停止した。
国内軍には赤軍の進撃停止の情報は伝えられなかったうえに、その直前の7月29日にはモスクワからは蜂起開始を呼びかけるラジオ放送が流れ続けており、赤軍の位置からそのワルシャワ到着は大きくは遅れないと判断された。
8月1日17時ちょうど、約5万人の国内軍は蜂起を開始。兵士達は橋、官庁、駅、ドイツ軍の兵舎、補給所を襲撃する。
この時刻は「W」と呼ばれ、現在でも毎年8月1日の同時刻にワルシャワではサイレンが鳴り渡り、市民がその場で動きを止め、各自で1分間の黙祷を捧げるのが恒例行事となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ワルシャワ蜂起」の詳細全文を読む



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