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ワレリー・ボルチン(、Valeriy Viktorovich Borchin、1986年9月11日 - )はロシア連邦モルドヴィア共和国の陸上競技選手。専門は競歩。北京オリンピックおよび世界陸上競技選手権ベルリン大会男子20km競歩金メダリスト。 == 来歴 == ボルチンはモルドヴィア共和国の首都サランスクから東へ90km離れたボヴォジモボ村の出身である〔Googleマップ モルドヴィア共和国ボヴォジモボ 〕。 10歳の頃に重量挙げを始めたが全く好きになれずに3、4ヶ月でやめてしまったという。その後3000メートル競走、5000メートル競走の長距離走に取り組んだ。16歳の頃に膝を傷め長距離走を断念、後に自身が「競歩を始めるには遅すぎる年齢」と回顧した17歳(2003年頃)から競歩を始めた。 競技開始2年目の2005年初め、ソチ近郊アドレル〔Googleマップ クラスノダール地方アドレル 〕 で開催されたロシア冬季選手権の男子ジュニア10km競歩で2位となった。続く同年6月に禁止薬物エフェドリンの不適切使用で1年間の大会出場資格剥奪処分となった〔〔ボルチンが20キロ競歩を制す 森岡は11位、世界陸上ベルリン大会 AFPBB (09-08-16). 2010年4月5日閲覧。〕。この期間を20km競歩のトレーニングに費やし、2006年6月、処分明けのわずか4日後に出場したロシア選手権20km競歩で優勝。20km競歩初めての出場を勝利で飾った。 2006年8月の第19回ヨーロッパ陸上競技選手権大会20km競歩、2008年5月第23回IAAFワールドカップ競歩20km競歩ではフランシスコ・ハビエル・フェルナンデスに次ぐ2位となった。2007年8月の世界陸上競技選手権大阪大会20km競歩では先頭集団でレースを進めたが酷暑から来る熱中症により途中棄権し、病院に搬送された〔。 2008年8月北京オリンピック20km競歩では序盤は先頭集団につけ、15km過ぎの後半先頭に立つとジェファーソン・ペレスを競り落とし優勝(1時間19分01秒)、金メダルを獲得した。 2009年は2月ロシア冬季選手権20km競歩で自己ベストおよびこの年の男子20km競歩世界ランキング1位となる1時間17分38秒を記録して優勝。8月の世界陸上競技選手権ベルリン大会20km競歩では王浩(中華人民共和国)以下を抑え、1時間18分41秒の記録で優勝した〔。 その他オリンピックで金メダルを獲得した褒賞として、慣例によりロシア政府よりBMW製クロスオーバーSUVを受領した〔。 ボルチンは2015年1月生体パスポートを用いたドーピング検査で異常値を示したとして2008年10月から8年間の資格停止処分を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワレリー・ボルチン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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