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ヴァルター・シェール : ウィキペディア日本語版
ヴァルター・シェール

ヴァルター・シェール(Walter Scheel , 1919年7月8日 - )は、ドイツ西ドイツ)の政治家。第4代連邦大統領(在任 1974年 - 1979年)。そのほか経済協力相(1961‐1966年)、副首相兼外相(1969‐1974)を歴任。1968年から1974年までは所属する自由民主党(FDP)の党首も務め、「大連立」政権樹立や戦後初のドイツ社会民主党(SPD)政権樹立といった政界再編の影の主役でもあった。
== 経歴 ==

=== 青年期・FDP入党 ===
ノルトライン=ヴェストファーレン州ゾーリンゲンの生まれ。父親は車輪作りの職人、家庭はプロテスタント。1938年アビトゥーアに合格し銀行で修業を始めるが、翌年徴兵されドイツ空軍に入る。1945年まで第二次世界大戦に従軍し、最終階級は中尉。戦争中の1942年に結婚し一児をもうけている。この間シェールがナチスに入党していたか否かは議論があり、戦争末期に入党したとも入党していなかったともいうが、証拠となる記録が残っていない(シェール本人は入党を否定し続けつつも、大統領任期切れの直前に「入党志願書が届いていた」事を認めたが、結局入党した否かについて明言を避けている)。戦後は政治活動の傍ら1953年まで企業の経理係などをしていた。
1946年、自由民主党(FDP)に入党。1948年に故郷ゾーリンゲン市の市議会議員に初当選。1950年にはノルトライン=ヴェストファーレン州議会議員に転じ、さらに1953年にはドイツ連邦議会議員に初当選。大統領となるため辞職した1974年まで連邦議会議員に連続当選する。1954年に州の党執行部に入り、1956年からは連邦の党執行部に入る。この年、ノルトライン=ヴェストファーレン州政府ではキャスティング・ボートを握るFDPが連立相手をドイツキリスト教民主同盟(CDU)からドイツ社会民主党(SPD)に替えたために政権交代が起きたが、シェールはいわゆる「青年トルコ党」と呼ばれた党若手グループの一員としてこれに関与した。これに反対するグループが離党して自由国民党(FVP)を結党する騒ぎにもなった。同年欧州議会議員を兼任(1961年まで)、海外協力問題委員会委員長などを務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴァルター・シェール」の詳細全文を読む



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