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ヴァルター・ハインリヒ・アルフレート・ヘルマン・フォン・ブラウヒッチュ(, 1881年10月4日 - 1948年10月18日)は、ドイツの軍人。最終階級は陸軍元帥。ドイツ国防軍の第2代陸軍総司令官を務めたが、モスクワの戦いの最中にヒトラーにより更迭された。 == 経歴 == === 初期の軍歴 === シレジア貴族のプロイセン王国騎兵大将ベルンハルト・フォン・ブラウヒッチュとシャルロッテ・フォン・ゴルドンの間に生まれた。 士官学校を卒業後、1900年にベルリン・シャルロッテンブルクのエリザベート妃近衛擲弾兵第3連隊に一年志願の少尉として入営。翌年近衛野砲兵第3連隊に転属。1903年に砲兵学校で学ぶ。1905年、シュパンダウの銃器工場を監督。1908年から翌年まで、第3近衛野砲兵第3連隊第2大隊で副官。中尉に昇進。1909年、陸軍大学で学ぶことなく暫定で参謀本部付となる。1909年から1912年まで、近衛野砲兵第3連隊で連隊副官。1913年、正式に参謀本部に転属し大尉に昇進。第一次世界大戦勃発後、第16軍団参謀に転じる。1915年、第34歩兵師団参謀。1917年、皇太子付特務参謀。しかしすぐに総司令部第7課に転属。同年第11歩兵師団参謀。1918年2月、後備第1近衛師団参謀。同年8月、後備近衛軍団参謀となり少佐に昇進。 終戦後はヴァイマル共和国の国防軍に採用され、第2軍管区教育部付参謀となる。のち第6砲兵連隊で部長。1925年、中佐に昇進。1927年、ミュンスターの第6軍管区(=第6歩兵師団)参謀長に補される。翌年大佐に昇進。1929年、国防省兵務局教育部長に就任。1931年、少将に昇進。翌年砲兵総監に任命される。1933年のナチス政権樹立ののち、第1軍管区・第1歩兵師団司令官に補される。翌年中将に昇進し、ドイツ再軍備宣言後の1935年には第1軍団司令官に就任。1936年、砲兵大将に昇進し、翌年ライプツィヒに新設された第4集団司令官に任命される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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