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ヴァルナの戦い[ヴぁるなのたたかい]
ヴァルナの戦い(ヴァルナのたたかい)は、1444年11月10日に、現在のブルガリア、ヴァルナ近郊で起きた戦闘。オスマン帝国のスルタン・ムラト2世軍が、キリスト教国連合軍を敗退させた。ハンガリー王国が組織したヴァルナ十字軍最後の戦いであった〔Bodnar, Edward W. ''Ciriaco d'Ancona e la crociata di Varna, nuove prospettive''. ''Il Veltro'' 27, nos. 1-2 (1983): 235-51〕〔Halecki, Oscar, ''The Crusade of Varna''. New York, 1943〕。 == 背景 == 1440年から1442年にかけてのベオグラードとトランシルヴァニアへの遠征の失敗、1442年から1443年にかけてのフニャディ・ヤーノシュの遠征の失敗、これらの後にムラト2世はハンガリーとの間にセゲド条約(en、10年の休戦)を結んだ。1444年8月にムラト2世はアナトリアのカラマン君侯国(en)との間に和平を成立させてから、息子のメフメト2世にスルタン位を譲った。 和平が成立したにもかかわらず、ハンガリーはヴェネツィア共和国、そして新たな十字軍を組織するローマ教皇エウゲニウス4世と協力関係を結んだ。この知らせで、ムラト2世はメフメト2世の求めで復位させられた。自分はもはやスルタンではないという理由で、ムラトは最初のこの召喚を頑固にはねつけたが、国の危機に際して復位せざるを得なかった(イェニチェリが復位を求めて反乱を起こしたとも言われる)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴァルナの戦い」の詳細全文を読む
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