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ヴァロワ=ブルゴーニュ家 : ウィキペディア日本語版 | ヴァロワ=ブルゴーニュ家[う゛ぁろわぶるごーにゅか] ヴァロワ=ブルゴーニュ家(仏:maison de Valois-Bourgogne)は、フランスの王家ヴァロワ家の分枝の一つで、ブルゴーニュ公国を統治した一門である。単にブルゴーニュ家と言った場合にこの家系を指すことも少なくないが、他にカペー家系ブルゴーニュ家(その分家からポルトガル王家のブルゴーニュ家が出ている)や、ヴァロワ=ブルゴーニュ家以前にブルゴーニュ伯の家系であったアンスカリ家(その分家からカスティーリャ王家のブルゴーニュ家が出ている)を指す場合もあるので、注意を要する。 == 歴史 ==
=== 公国の誕生 === ヴァロワ=ブルゴーニュ家はヴァロワ朝のフランス王ジャン2世の末子フィリップ豪胆公に始まる。カペー家系ブルゴーニュ家最後の男系当主フィリップ1世が1361年に嗣子無くして没したことにより、その公領はフランス王領に併合されるが、時のフランス王ジャン2世は、末子フィリップにブルゴーニュを下賜した。これがヴァロワ=ブルゴーニュ家の誕生である。さらに、豪胆公の兄でジャン2世の長男であるフランス王シャルル5世が、豪胆公とフランドル女伯マルグリット3世と結婚させたことにより、フランドル、ブルゴーニュ伯領(フランシュ・コンテ)、アルトワを獲得した豪胆公は一躍富裕な諸侯となった。 これを梃にした豪胆公はネーデルラントに進出し、当地を支配したヴィッテルスバッハ家と巧みに縁組を重ねることで急速に勢力を拡大させる。1380年にシャルル5世の息子で新たにフランス王になったシャルル6世の妃にヴィッテルスバッハ家のイザボーを迎えたのも、ネーデルラント政策の一環であった。そして、ヴァロワ=ブルゴーニュ家が統治したブルゴーニュ領ネーデルラントが今日のベネルクス3国の原型となるのである。
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