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ヴィクトル・スタルヒン(、1916年5月1日 - 1957年1月12日)は、ロシア帝国生まれ、北海道育ちのプロ野球選手(投手)。 本名はヴィクトル・コンスタンチーノヴィチ・スタルヒン(, ''Viktor Konstantinovič Staruchin'')。戦時中は「須田 博(すた ひろし)」に改名。 沢村栄治、野口二郎、藤本英雄と並ぶプロ野球黎明期の大投手で、NPB史上初の通算300勝を達成した。また、日本プロ野球界初の外国生まれの選手であった。 == 経歴 == === 日本への亡命 === 1916年、帝政時代のロシアのニジニ・タギルに、ロマノフ王朝の将校・父コンスタンチンと母エレキドアの一人息子として誕生。 ロシア革命の際、一族の中に王党派がいたため、革命政府(共産主義政府)から迫害される。一家は革命軍に追われながらウラル山脈から広大なシベリアを横断し、国境を越えて日本の支配下にあった満州のハルビンまで逃げ延びた。1925年、日本に亡命。日本への入国に必要な大金をなんとか支払い、北海道の旭川へ。日本では無国籍の「白系ロシア人」となる。 小学校へ入学し、虐められながらも成績優秀、運動神経も抜群で、徒競走では20m後ろからスタートさせられても一等になるほどだった。大正から昭和にかけて全国的にも少年野球は盛んであり、スタルヒンも学校のチームで活躍した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィクトル・スタルヒン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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