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ヴィクトワール・ド・フランス : ウィキペディア日本語版 | ヴィクトワール・ド・フランス
マリー・ルイーズ・テレーズ・ヴィクトワール・ド・フランス(Marie-Louise-Thérèse-Victoire de France, 1733年5月11日 - 1799年6月7日)は、フランス王ルイ15世と王妃マリー・レクザンスカの五女。マダム・カトリエーム(Madame Quatrieme:4番目の王女の意)と呼ばれ(彼女の誕生した年に次姉が早世したためこう呼ばれた)、成長するとマダム・ヴィクトワールと呼ばれた。 ==生涯== ヴェルサイユ宮殿で生まれた。年上の兄弟姉妹たちとは違い、1歳年上の姉アデライードとともに、フォントヴロー修道院で育てられた。 アデライードや妹ソフィー同様に父の愛人デュ・バリー夫人を嫌い、甥の妻マリー・アントワネットをたきつけて夫人と対立させたことが知られる。 1789年10月、革命政府により姉アデライードと一緒にベルヴュ城に監禁された。釈放されるまではアルネ・ル・ダックで数日を過ごし、1791年2月にイタリアへ発った。トリノで姪のサルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ4世妃クロティルデを訪問したあと、4月にローマに到着した。革命政府の影響が及ぶにつれローマにいられなくなり、同年のうちにマリー・アントワネットの姉マリア・カロリーナを頼りナポリへ移った。1799年にギリシャ・コルフ島に滞在していた2人が最終的に落ち着いたのは、オーストリア国境にほど近いトリエステだった。ヴィクトワールはそこで乳癌のため死去した。1年後の1800年、アデライードもローマの亡命フランス人たちに混じって死去した。2人の遺体は、のちに甥ルイ18世によりフランスへ運ばれ、サン=ドニ大聖堂に葬られた。
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