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ヴィケルスンジャンプ競技場はノルウェー、モダムのヴィケルスン地区に位置する北欧で唯一のスキーフライングジャンプ競技場である。2011年に改築され世界最大のスキージャンプ台となった。周辺にはほかに大小6基のジャンプ台がありスキージャンプコンプレックスを形成している。 == 歴史 == 当地では1894年にVikersund SKが設立され、スキージャンプが始められた。このクラブは1930年代までは周辺の6か所のジャンプ台を使用していた。クラブは優秀な選手を育成し、新しい優れたジャンプ台を建設する機運が高まっていた。1935年3月19日にGustav N. Hovdeを委員長とし新ジャンプ台建設委員会が立ち上げられた。 ドランメン川の対岸Heggen地区に適地があったが土地購入交渉がうまくいかず、少し離れたHeggen教会南側の斜面に建設することが決まった。土地を購入した後、建設は1935年の後半に始まった。設計はThunold Hansenによる。建設費は6,290ノルウェークローネでうち1,000クローネは借入、残りは民間からの寄付により賄われた。最高点は標高425m、最下部は標高130m、インランは全長115m・標高差46mであった。 1936年1月29日に完成披露が行われBirger Henriksenが50mの飛び初めを行った。この日の最長はライダル・アンデシェンの86mであった。 1936年2月25日に初の大会が5000人の観衆を集めて行われ、ヒルマル・ミーラが85mを飛んで優勝した。 1955年から1956年にかけて改修され100mジャンプが可能となった。しかしこの台はまだフライングの台とみなすには小さいものであった。1964年に、クラブはOttar Grøtterudによってジャンプ台拡大検討委員会を発足させた。建設費は445,000クローネ、このうちモダム自治体から75,000クローネの助成と150,000クローネの融資、募金により20,000クローネ、クラブ、ブスケルー県の自治体、企業から80,000クローネ、建設基金から100,000クローネなどが当てられた。 建設はEntreprenør Gunnar Sterkebyeによって行われ、新しいインランは高さ23mの塔となり、70m離れた地点に新しいジャッジタワーが建設された。20万立方メートルに及ぶ土工事を伴い、1966年3月13日にオープンした。 1977年のスキーフライング世界選手権を前に小規模な改修が行われた。1990年のスキーフライング世界選手権に向けて再度改修が行われK=175mとなった。また、隣接してK=90mのノーマルヒルが建設された。 2000年のスキーフライング世界選手権に向けて改修が行われ、K点は185mとなった。 2012年のスキーフライング世界選手権に向けてまたしても大規模な改修が行われることになった。プラニツァのレタウニツァ・ブラトウ・ゴリシェクよりも大きなK=195m、HS225mのジャンプ台がヤネス・ゴリシェクとその息子セバスチャンの設計により建設された。風の影響を防ぐために以前より掘り下げ、また中心軸を南側に移動させた。2010年に古いジャンプ台の解体が始まり、2011年2月のワールドカップでこけら落としとなった。 2011年2月11日の公式練習でヨハン・レメン・エベンセンが243mを記録〔Results_Training 〕、さらに予選ラウンドで246.5mの最長記録を樹立した〔Results_Qualification 〕。翌日の本選ではグレゴア・シュリーレンツァウアーが243.5mを記録した〔27thOfficial_Results 〕。 好条件で助走スピードを抑えるために当初の第一ゲートより下に5つゲートが追加された。 2015年2月14日にはペテル・プレヴツが2本目にスキージャンプ史上初となる250mを記録〔27thOfficial_Results 〕、翌15日にはアンデシュ・ファンネメルが251.5mと記録を更新した〔28thOfficial Results 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィケルスンジャンプ競技場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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