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ヴィスワ=オーデル攻勢 : ウィキペディア日本語版 | ヴィスワ=オーデル攻勢[う゛ぃすわおーでるこうせい]
ヴィスワ=オーデル攻勢とは、第二次世界大戦の東部戦線において、1945年1月12日から2月2日にかけてソビエト赤軍がドイツ軍に対して行った攻勢である。この作戦に勝利したソビエト軍は、ヴィスワ川(ドイツ語名:ヴァイクセル川)からドイツの首都ベルリンの東70Kmのオーデル川河畔まで進撃した。 == 背景 == バグラチオン作戦の成功に引き続き、ソビエト第1白ロシア戦線は1944年7月27日から8月4日の間にヴィスワ川西方に3つの橋頭堡をなんとか確保した〔Duffy, p.11〕。ワルシャワは目前となったが、ワルシャワ蜂起が発生した1944年8月1日以降、ソビエト赤軍はこの態勢のまま活動を停止する。第1ウクライナ戦線はリヴィウ=サンドミェシュ攻勢の間、(ドイツではバラノウ橋頭堡と呼ばれる)でさらに橋頭堡を大きく拡大していた〔Duffy, p.12〕。 攻撃にあたってソビエト赤軍は3つの橋頭堡でドイツ軍を上回る大量の軍需物資、将兵を集結させた。ドイツ陸軍参謀本部東方外国軍課で対ソ情報活動を担当していたラインハルト・ゲーレン少将はこの事実をつかみ、陸軍参謀総長ハインツ・グデーリアン上級大将に報告した。グデーリアンは危機が迫っていることをドイツ総統アドルフ・ヒトラーに進言したが、ヒトラーは彼らの情報をソビエト赤軍を上辺だけの強さとして「ジンギスカン以来の最も大きな詐欺である」として退けた〔Beevor, p.〕。グデーリアンは防衛のための必要な人員を得るためにクールラント・ポケットに閉じ込められている北方軍集団をバルト海経由で撤退させることを提案したが、ヒトラーはこれを拒絶した。その上、ヒトラーは春の目覚め作戦を支援するために、予備戦力である、第6SS装甲軍(司令官ヨーゼフ・ディートリヒ)をハンガリーへ移動させるよう命令した。
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