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ヴィチェンツァ・カルチョ(Vicenza Calcio s.p.a)は、イタリア・ヴィチェンツァを本拠地とするサッカークラブ。2015-16シーズンはセリエBに所属している。 == 歴史 == 1902年創設。1910-11シーズンにイタリア選手権に初めて参加し、決勝に進んだが、当時のイタリアで最高のチームのひとつであったプロ・ヴェルチェッリに敗れた〔http://www.rsssf.com/tablesi/italhist98-25.html#11〕。1920年代から1930年代は下位ディビジョンに所属し、1942-43シーズンに初めてセリエAに昇格した。同シーズンは最終節にトリノでユヴェントスを6-2で破り、それによって降格を免れた〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital43.html〕。 1946-47シーズンにはセリエAで5位となったが〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital47.html〕、その翌シーズンは21チーム中20位に沈み、セリエBに降格した〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital48.html〕。1950年代前半には財政難に直面したが、1953年にスキーオの羊毛会社ラネロッシにクラブが買収され、ラネロッシ・ヴィチェンツァ (Lanerossi Vicenza) に改名された。 1955年から1975年にかけてヴィチェンツァは一度もセリエAから落ちることなく、より名高いクラブを相手に悪戦苦闘を続けた。この時代のヴィチェンツァには、“気高きプロヴィンチャーレ” (''Nobile Provinciale'') というニックネームが付けられた。1963-64シーズンと1965-66シーズンに6位となり、1965-66シーズンはブラジル人FWのルイス・ヴィニシオが25ゴールで得点王に輝いた〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital64.html〕〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital66.html〕。 1975年にセリエBに降格したが、1976-77シーズンに優勝すると〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital77.html〕、翌1977-78シーズンのセリエAでは24ゴールを挙げて得点王となった若きパオロ・ロッシを擁して2位となった〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital78.html〕。このシーズンのチームにはレアル・ヴィチェンツァ (''Real Vicenza'') というニックネームが付けられた。ユヴェントスからロッシを完全移籍させるために、クラブの会長ジュゼッペ・ファリーナは、当時の最高移籍金額となる2600万リラを支払ったが、1979年にセリエB降格〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital79.html〕、さらに1981年にはセリエC1に降格した〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital81.html〕。 1980年代中盤、ロベルト・バッジョはこのクラブで自身のキャリアをスタートさせた。1985-86シーズン、セリエBで3位となってセリエA昇格を決めたが、第2次トトネロ(闇サッカー賭博)スキャンダルに関与したことへの処分として昇格が取り消された〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital86.html〕1986-87シーズンには、セリエC1降格が決まった。〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital87.html〕。 1990年に現在のクラブ名となった。1993年にセリエBに昇格〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital93.html〕、1995年にセリエAに昇格した〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital95.html〕。1995-96シーズンのリーグで9位〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital96.html〕、1997年のコッパ・イタリアではナポリを合計スコア3-1で降して優勝した。コッパ・イタリア優勝により出場権を獲得した1997-98シーズンのカップウィナーズカップでは、準決勝でイングランドのチェルシーに敗れた。 1999年にセリエBに降格、2001年にセリエAに復帰した。2004-05シーズン、負ければセリエC1への降格が決まるセリエBの降格プレーオフにおいてトリエスティーナに敗れたが、〔http://www.rsssf.com/tablesi/ital2-05.html〕イタリアサッカー連盟 (FIGC) がジェノアとペルージャを降格させたためセリエBに再登録された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィチェンツァ・カルチョ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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