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ヴィッカース・ドラゴンは、戦間期にイギリスのヴィッカース=アームストロング社で開発された、軍用の装軌式装甲牽引車の一群である。「ドラゴン(Dragon)」の名は、「砲の牽引(drag-gun)」に由来する。 ==開発== 1920年代初頭、ヴィッカース・アームストロング社は、18ポンド野砲の牽引を主目的とした装甲牽引車を開発した。足回りは、当時ヴィッカース社で開発されていたヴィッカース中戦車を元にしたもので、運転席はオープントップ、後部は砲を操作する兵員の座席となっていた。この車輌には、ドラゴン Mk.I(Dragon Mk.I)の名称が与えられた。引き続き、同様の足回りだが各部が改良されたドラゴン Mk.II(Dragon Mk.II)、ドラゴン Mk.II *(Dragon Mk.II *)が製作された。 次の車輌はやはりヴィッカース中戦車系の足回りを持っていたが、これは60ポンド砲や6インチ榴弾砲の牽引用だった。おそらく、後述の軽ドラゴンの開発計画が出てきたため、この形式から、中ドラゴン Mk.III(Dragon Midium Mk.III)と、クラス名称が付け加えられた。遡って、ドラゴン Mk.I/II/II *も、中ドラゴン Mk.I/II/II *(Dragon Midium Mk.I/II/II *)と呼称されるようになった。Mk.IIIは、改良型のMk.IIIB型、Mk.IIIC型も製作された。 1934年に登場した中ドラゴン Mk.IV(Dragon Midium Mk.IV)は足回りが一変し、ヴィッカース 6トン戦車のものとなった。 中ドラゴン系列の一方で、ヴィッカース・カーデン・ロイド軽戦車の足回りを利用し、より小型の軽ドラゴン(Light Dragon)も開発された。軽ドラゴン Mk.I(Light Dragon Mk.I)はリーフ・スプリング式のサスペンションを持っていたが、カーデン・ロイド軽戦車系列の発展に伴い、軽ドラゴン Mk.II(Light Dragon Mk.II)は軽戦車Mk.II~IIIと同型のコイル・スプリング式となっていた。Mk.IIは1934年までにA~Dの形式が作られた。軽ドラゴンは主に、2ポンド対戦車砲や4.5インチ榴弾砲、その弾薬車の運搬を主目的としていた。Mk.I、Mk.IIC はベルギーに輸出され、T-13戦車駆逐車のベース車体としても利用された。 1935年、軽ドラゴンとカーデン・ロイド豆戦車Mk.VIマシンガン・キャリア双方の後継として、開発名称「VA D50」(VAはVickers-Armstrongの頭文字)と呼ばれる車輌が製作された。車体の大きさはそれまでの軽ドラゴンとカーデン・ロイド豆戦車の中間で、軽ドラゴン Mk.II で片側4つだった転輪は3つに減らされ、車体高はより低かった。この「VA D50」をもとに軽ドラゴン Mk.III(Light Dragon Mk.III)が製作されたものの、砲牽引には装輪車輌を主とする方針となったため、生産は少数に終わった。しかし、前方に機銃を1丁装備したマシンガン・キャリア型の「VA D50」は、その後のブレン・ガン・キャリア、ユニバーサル・キャリアなどキャリア系列の直接の祖先となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィッカース・ドラゴン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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