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ヴィットストックの戦い : ウィキペディア日本語版 | ヴィットストックの戦い[ヴぃっとすとっくのたたかい]
ヴィットストックの戦い(ヴィットストックのたたかい, Battle of Wittstock)とは、三十年戦争後期、フランス・スウェーデン戦争において、1636年10月4日、神聖ローマ帝国軍とスウェーデン軍によって行われた戦闘である。劣勢を強いられたスウェーデン軍が勝利し、三十年戦争後期におけるスウェーデンの反撃を機する戦いとなった。 == 概要 == 1634年のネルトリンゲンの戦いの敗北、1635年の神聖ローマ皇帝によるプラハ条約は、プロテスタント軍の盟主であったスウェーデンの息の根を止められたかに思われた。残るスウェーデンの拠点ポンメルンは、スウェーデン軍と、本国スウェーデンとの最後の連絡線であった。ここを失えばスウェーデンの三十年戦争敗北は決定的であった。スウェーデン軍総司令官であるバネル将軍は、ポンメルンを死守するため、エルベ川沿岸のヴィットストック近郊に陣を敷いた。一方、神聖ローマ皇帝は、ポンメルン奪取を意図し、スウェーデン軍を壊滅させる為に、ザクセン軍を引き連れ、皇帝軍をヴィットストックに派遣する。 皇帝軍は、ハッツフェルト将軍に率いられた25,000、一方、スウェーデン軍は、バネル将軍とトルステンソン将軍に率いられた18,000が陣取っていた。皇帝軍は、平原を突っ切ってスウェーデン軍を攻撃する手はずであった。一方、バネル将軍は、軍を二手に分けて皇帝軍の側面の防御線を外れるほど迂回し、一方本軍は、川を瀬にした背水の陣を敷くという作戦を取った。 スウェーデン軍は、軍を二分した為、皇帝軍の圧倒的な攻撃に晒され日没近くまで苦戦を強いられた。しかし、スウェーデン本軍の囮作戦が成功し、皇帝軍はその場に釘付けにされた。そして別働隊が11キロ迂回し、皇帝軍を側面から襲ったのである。前面に釘付けにされていた皇帝軍は対処できず、大損害を被り大敗を喫したのである。
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