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アルターレ・デッラ・パトリア(伊Altare della Patria、国父の祭壇)は、イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の記念堂。ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento Nazionale a Vittorio Emanuele II)、或いは短くヴィットーリオ(Vittorio)と呼ばれる場合もある。他に無名戦士の墓としての役割も兼ねており、祭壇が設置されている。建物は首都ローマの中心地に位置しており、ヴェネツィア広場とカピトリーノの丘の間に建設され、1911年に完成した。 設計は建築家ジュゼッペ・サッコーニが担当したが、彼の案は建設当時から現在に至るまで賛否を分けている。 ==背景== 1885年、サヴォイア朝によるイタリア王国を成立させたヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を王国の国父(della Patria)と見なし、その偉業を讃えるべくその息子であるウンベルト1世の治世に建設が開始された。新古典主義の建築家ジュゼッペ・サッコーニが設計を行い、彫刻などの装飾は象徴主義の彫刻家レオナルド・ビストルフィ、アンジェロ・ザネッリらが担当した〔Sandra Berresford, ''Italian Memorial Sculpture, 1820-1940: A Legacy of Love''56.〕。 建設開始から16年後の1911年に落成式が行われ、1925年に完成した。ロンバルディア州ブレシア県のボッティチーノから切り出された大理石が使われ、パンテオンと同じコリント式の円柱、噴水、大きな階段が特徴的な構造になっている。建物上部にはクアドリガに乗る勝利の女神ヴィクトリアの彫像が二体配置され、建物正面には国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が設置されている。 全体で幅135メートル、高さ70メートル(クアドリガに乗るヴィクトリア像を含めれば81メートル)となり、総面積は17000平方メートルとなる〔。2007年、屋上に向かうエレベーターが設置され、屋上からはローマの市街地を一望できる〔Vittoriano, su con l'ascensore da oggi le terrazze con vista 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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