|
ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア(Vittorio Emanuele di Savoia、1937年2月12日 - )は、イタリア王国において最後の国王となったウンベルト2世の長男で、現サヴォイア家当主及び王位請求者。1946年の共和制移行により成立したイタリア共和国において、王位のみならず全ての貴族称号は承認されていないが、国内に残る王党派は「ナポリ公ヴィットーリオ・エマヌエーレ」と呼んでいる。また、一部急進派からは「イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ4世」と呼ばれているとされる。 イタリア王位やナポリ公位以外にも、様々な称号や継承権を父から継いでおり、その中にはエルサレム王位の請求権も含まれている。名誉ある血筋と継承権を持ち、欧州に数多くいる「没落貴族のコミュニティー」でも大物の一人と見なされている。しかしその一方で、亡命先のスイス・フランスなどで様々な非合法事業に加わり、また私生活でも一族の反対を無視して貴賎結婚を行うなど、身辺に問題の多い人物でもある。 == 経歴 == === 生い立ち === 1937年2月12日、王政時代のイタリアで、当時はまだイタリア王太子であった父ウンベルト2世と、その妻であるベルギー王女マリーア・ジョゼ・デル・ベルジョとの長男として、ナポリの離宮で生まれる。祖父である第3代イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は男児の孫を授かったことを喜び、赤子のヴィットーリオを膝に乗せている写真が残されている。祖父からはナポリ公の称号を与えられ、父が即位すると王太子の称号を譲られた。だが9歳の時、王政廃止によってサヴォイア家や他のイタリア貴族たちは亡命を強いられ、没落貴族に仲間入りせざるを得なくなった。祖父母はエジプトへ、王位を継いでいた父と母はポルトガルへと亡命した。 しばらくして両親は実質的な別居状態に入り、母マリーア・ジョゼに引き取られて妹たちとスイスへと移住(現在でもヴィットーリオはスイスに邸宅を所有している)、幼少期を送った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|