|
ヴィボルグ-ペトロザヴォーツク攻勢(、)は第二次世界大戦、継続戦争中にフィンランド方面にソ連が攻勢をかけて行われた戦闘。また、この作戦の終結後バグラチオン作戦を行う計画であった。これによりソ連軍はフィンランド軍からヴィボルグを奪回し、東カレリアも取り戻した。しかしながら最終的にバグラチオン作戦の為にこの方面に出張っていた攻勢の主力を欧州方面に向けざるを得なくなり、当初の目標であるフィンランド軍の壊滅とキミ川への到達は達成できなかった。 ヴィボルグ攻勢にはレニングラード方面軍が、スヴィル-ペトロザヴォーツク攻勢にはカレリア方面軍が参加した。 この戦闘はスカンジナビアで行われた戦闘の中でも範囲、規模共に最大級の物である。 ==背景== 1944年1月、ソ連軍はレニングラード包囲戦に勝利し、包囲から開放され、ドイツ北方軍集団をナルヴァ-イリメニ湖-プスコフの線まで押しのけた。 ドイツ側形勢不利を見てフィンランドは二月にソ連との講和交渉を開始した。しかし講和に対する要求は実行に移すことが実現不可能な物だった。ソ連側はフィンランドが独力でドイツ軍をバルト海へ追い落とし、国境を冬戦争後のものに戻すことを講和の最低必要条件としたが、ドイツに必要物資の多くを頼っており、なおかつドイツ軍はフィンランド各地に駐屯していたおり、分離講和を望めばドイツとの全面戦争に発展することも避けられなかったのである。 フィンランド側はこの講和を拒否し、このためスタフカはフィンランドの枢軸脱落を計画し攻勢を準備し始めたのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィボルグ-ペトロザヴォーツク攻勢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|