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ヴィリリオ : ウィキペディア日本語版
ポール・ヴィリリオ
ポール・ヴィリリオ(Paul Virilio, 1932年1月4日 - )は、フランス思想家都市計画家
パリ生まれ。速度術(ドロモロジー)を鍵概念として、テクノロジーメディアの発展によって、人間の知覚行動がどのように変容していくのかを分析している。しかし、速度加速度の概念を取り違えた論文が散見される。
アラン・ソーカルらによって、数学・科学用語を不適切に使用した論文であるとの批判を受ける''(→ソーカル事件参照)''。
== 略歴 ==
1932年パリ生まれ。父親はイタリア系で共産主義者。母親はブルトン系でカトリック教徒。戦時中ナントに疎開。第二次世界大戦後はパリの工芸学校に進学のかたわら聴講生としてソルボンヌ大学でのウラジミール・ジャンケレヴィッチやレーモン・アロンの哲学などの講義を受講していた。
その後、アルジェリア戦争に召集もされ除隊後、絵画やステンドグラスの作家として出発。
1958年から大西洋の壁掩体壕といった戦争遺産などの調査研究を開始。1960年代から建築と都市計画業も開始し、聖ベルナデッタ教会を(ヌヴェール、クロード・ペアレントらと)1966年に、トムソン・ヒューストンの航空宇宙研究センター(ヴェリジー=ヴィラクブレー)などを1969年に手がける。1969年からパリ建築学校ESA(Ecole Speciale d’Architecture)で教鞭をとる(その後同校校長もつとめる)。
1975年の『トーチカの考古学』(Bunker Arch´eologie)から本格的な執筆活動を始める。1987年、フランス設備住宅省と国土整備省、運輸の三省から著作活動に対して批評家国民賞を授与。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ポール・ヴィリリオ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Paul Virilio 」があります。



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