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ヴィルヘルム・マルクス(Wilhelm Marx, 1863年1月15日 - 1946年8月5日)は、ドイツの法律家、政治家。ヴァイマル共和政時代の1923年‐1924年及び1926年‐1928年にドイツ国首相を務めた。首相通算在任期間3年1ヶ月はヴァイマル共和政下においては最長である。 == 経歴 == === カトリック === 教師の息子としてケルンに生まれる。1881年にアビトゥーア合格。ボン大学で法学を学ぶ。卒業後ケルンとヴァルトブレルの裁判所に試補として採用される。1891年に結婚し四児をもうける。ジンメルンの抵当・不動産局で短期間働いたのち、1894年にエルバーフェルト地方裁判所の判事となる。10年後ケルンの裁判所に移動。1907年‐1921年、デュッセルドルフ裁判所判事。敬虔なカトリック教徒で中央党に属していた彼は、プロイセン王国ではこれ以上の出世は望めなかった。第一次世界大戦後にヴァイマル共和政が成立すると、リンブルク・アン・デア・ラーン裁判所の所長となるが、すぐにベルリンの最高裁判所判事に転じた。 早くからカトリック主義に基づいた中央党の政治活動に従事し、1899年にはエルバーフェルトの同党地区代表、1908年にはデュッセルドルフで地区代表になっていた。1899年からプロイセン王国議会の議員となり、1910年にはドイツ帝国議会議員に選出され、1916年には中央党議員団執行部に入った。政治家として教育・文化政策に関わった。政治家としては冷静で穏健派であり、妥協を探り敵を作らないタイプと評された。 第一次世界大戦中は、拡張主義・勝利による和平ではなく講和による和平を主張していた。戦後ヴァイマル制憲会議の議員に選出され、同様に1919年‐1920年にはプロイセン州制憲会議の議員となった。連合軍によるラインラント占領の際は、多くのラインラント出身議員と違ってラインラントのドイツからの分離に反対する立場をとった。また同じ理由でヴェルサイユ条約に賛成した。マルクスは中央党の結束に腐心し、中央党のヨーゼフ・ヴィルト内閣を支援した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィルヘルム・マルクス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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