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ヴィンチェンツォ・ボニッツィ : ウィキペディア日本語版
ヴィンチェンツォ・ボニッツィ

ヴィンチェンツォ・ボニッツィ(''Vincenzo Bonizzi'' パルマ1590年以前 - パルマ1630年7月17日)は北イタリアの作曲家オルガン奏者。ヴィオラ・バスタルダ奏者でもあったと思われる。
当時の高名な鍵盤楽器奏者のクラウディオ・メールロに師事し、1596年ごろまでフェラーラの有名な『3人の女性歌手(''Tre dame principalissime'')』の伴奏者を務める〔モデナ エステンゼ図書館 alpha. G. 6.28. 176裏面〕。当時フェラーラの宮廷を訪問したジュリオ・カッチーニはボニッツィの演奏に特に注目をしている〔A.Newcomb: ''The Madrigal at Ferrara 1579-1597''(Princeton Univ. Press, 1980)201ページ〕。1595年7月3日からはルクレツィア・デステの音楽家としてウルビーノで活躍し、1598年2月15日、ルクレツィアがなくなるまでこの職に就いた。1599年2月1日からはパルマの宮廷音楽家となり、また1610年10月15日からはパルマの聖マリア・ステッカータ教会(''Santa Maria della Steccata'')のオルガニスト、後に1619年1月31日からは楽長を務めた。
== 出版された作品 ==
;宗教曲集
Motecta ut vulgo dicunt, tum quaternis tum 5, ac 7 tum etiam 8 vocibus. Liber I. (Vict. Baldinus, 1595)
;器楽曲集
Alcune opere di diversi auttori a diverse voci passaggiate principalmente per la Viola Bastarda, ma anco per ogni sorte di stromenti, e di voci. (A. Vincenti, 1626)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴィンチェンツォ・ボニッツィ」の詳細全文を読む



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