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ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシング (Vel's Parnelli Jones Racing) は、かつて存在していたアメリカのレーシングチーム・F1コンストラクター。 == 概要 == 1963年のインディ500勝者である元レーシングドライバーのパーネリ・ジョーンズと、フォードのカー・ディーラーである〔『AUTO SPORT YEAR '75』 三栄書房、1975年、58頁。〕ヴェルコ・ミレティッチ(Velco Miletich, 1925年 - 1998年)によって1969年に設立された。本拠地はカリフォルニア州トランス〔『オートスポーツ』 1975. 12/1号、43頁。〕〔アラン・ヘンリー著・守部信之訳 『F1マシン デザイン&テクノロジー』 CBSソニー出版、1990年、203頁。〕。1970年 - 1971年のインディ500でアル・アンサーが優勝、USACチャンピオンシップでジョー・レオナードが1971年のチャンピオンとなっている。 1972年はアンサーとレオナード、新加入したマリオ・アンドレッティの3人体制となる。スポンサーはタバコのブランドであるバイスロイがついた。この年マシンデザイナーとして加入した元ロータスのモーリス・フィリップがパーネリ初のオリジナルマシン、パーネリ・VPJ1を製作、インディ500でアンサーが2位となり、レオナードがUSACチャンピオンシップで優勝3回を記録して前年に次ぐチャンピオンを獲得した。 1974年はF5000にも参戦を開始し〔『オートスポーツ』 1975. 3/1号、82頁。〕、アンドレッティがシリーズ2位となった。 1975年、コスワースDFVにターボチャージャーを搭載したDFXを開発した〔檜垣和夫 『インディー500』 二玄社、1994年、142頁。〕。DFXは1977年から他チームにも供給が開始され、1988年にシボレー・エンジン搭載車が優勝するまで〔檜垣、173頁。〕、1978年〔檜垣、152頁。〕から1987年〔檜垣、193頁。〕に渡ってインディ500を制したエンジンとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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