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ヴェルダン条約(-じょうやく、独''Vertrag von Verdun'')は、843年にフランク王国(カロリング朝)の王ルートヴィヒ1世(敬虔王、ルイ1世)の死後、遺子であるロタール、ルートヴィヒ、カールがフランク王国を3分割して相続することを定めた条約。 この条約によって東フランク王国、西フランク王国、中フランク王国が誕生し、それぞれ現在のドイツ、フランス、イタリアの原型が形成された。 == 背景 == === 帝国整備令 === 814年にカール大帝が歿すると、彼の後を継いだルートヴィヒ敬虔王 (Ludwig der Fromme) は817年、「帝国整備(計画)令 (Ordinatio Imperii)」を発布。長男ロタール (Lothar) を共同統治者とすると共に、ロタールには王国本土を、次男ピピン (Pippin) と三男ルートヴィヒ (Ludwig) にはそれぞれアクィタニアとバイエルンとを与える分割統治案を定め、分権的統一王国の創出を図った。 フランク族には「領土相続権を長子のみに与えるのではなく、分割相続させる」という慣習が存在した。帝国計画令は、この分割相続の理念と統一国家維持の理念との妥協点を見出すために発布されたものであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴェルダン条約」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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