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ヴェルナー・ハイゼンベルク : ウィキペディア日本語版
ヴェルナー・ハイゼンベルク



ヴェルナー・カール・ハイゼンベルクWerner Karl Heisenberg, 1901年12月5日 - 1976年2月1日)は、ドイツの理論物理学者行列力学不確定性原理によって量子力学に絶大な貢献をした。
== 生涯 ==
ドイツ南部バイエルン州(生誕当時はバイエルン王国ヴュルツブルクに生まれる。ミュンヘン大学アルノルト・ゾンマーフェルトに学び、マックス・ボルンの下で助手を務めた後、1924年コペンハーゲンニールス・ボーアの下に留学。ボルンとパスカル・ヨルダンの協力を得ながら、1925年に行列力学(マトリックス力学)を、1927年に不確定性原理を導いて、量子力学の確立に大きく寄与した。1932年に31歳の若さでノーベル物理学賞を受賞。
母国ドイツではナチス・ドイツの台頭で同僚の多くがドイツを去ったが、ハイゼンベルクは、プランクからの「今は生き残るために妥協を強いられるにしても、破局の後の新しい時代のドイツのために残るべきだ」という助言もあり〔 XII 革命と大学生活〕、ドイツに残ることにし、場の量子論原子核の理論の研究を進めた。
ナチス政権下では、相対性理論及びユダヤ人物理学者を擁護する立場を取ったため、シュタルクレーナルトらナチス党員の物理学者から、「白いユダヤ人」と呼ばれて強い攻撃に晒された。ナチス政府から召集され、第二次世界大戦中は原爆開発(通称「ウランクラブ」)に関わった。イギリスベルリン空爆で、家を失ったが家族に犠牲はなかった。
戦後は、1946年から1970年までマックス・プランク物理学研究所の所長を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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