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聖ヴェロニカ・ジュリアー二(Veronica de Julianis、1660年12月27日 - 1727年7月9日)はイタリアのカプチン・クララ会の修道女で神秘家である。1839年に教皇グレゴリウス16世によって列聖された。 ==生涯== ===幼少期=== 1660年12月27日、中部イタリア・メルカテッロ(Mercatello)の裕福な家庭に生まれ、本名をオルソラ(Orsola 又は Ursula)といった。7歳の時、母を失い、父と共にピアチェンツァ(Piacenza)に移り住んだ。この町でオルソラは修道生活への召命を育んでいった。オルソラは7人姉妹の末子で、彼女に加えて姉妹のうちの3人が修道生活に入っている〔教皇ベネディクト16世の250回目の一般謁見演説 〕。 オルソラは幼いころから高潔さを示し、3歳の頃より貧しい人にとても憐れむ様子を見せたと語られている。彼女は自分の食事を貧しい人々のために取り分けておいた。そして、きちんと着るべき服がない貧しい子供を見かけると、自分の着るものでさえも分け与えた〔Hess, Lawrence. "St. Veronica Giuliani", The Catholic Encyclopedia. Vol. 15. New York: Robert Appleton Company, 1912. 21 Nov. 2012 〕。 オルソラは、他の人々が自分の行う宗教的な行為を一緒に行わなかった時、強引に自分に従わせようとする傾向があった。16歳の時、彼女は幻影を見て、この性格の欠点を改めるという経験をした。彼女は自分の心を「鉄の心(heart of steel)」として見たのであった。彼女は、自分の父親がピアチェンツァ(Piacenza)の金融管理者に任命された時、 家族が取り入れた品格ある環境を楽しんだ、との告白を書き残している。オルソラが年頃になった時、彼女の父親は彼女が結婚するものと信じていた。若い人々の社会活動に参加して欲しいと望んだ。 しかし、彼女はもうひとつの呼び声、自分への召し出しに気付いていた。そして彼女が自分の父親に真剣に嘆願したことは、 自分の人生・自分の立場は、自分自身で決めたいということであった。これにはその後、多くの反対があった。〔Habig, Marion. ofm, ed., The Franciscan Book of Saints (1959) Franciscan Herald Press 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴェロニカ・ジュリアーニ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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