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ヴェンド十字軍 : ウィキペディア日本語版
ヴェンド十字軍[う゛ぇんどじゅうじぐん]

ヴェンド十字軍(独:Wendenkreuzzug)とは、1147年に提唱され、ポラーブ語諸族en)あるいはヴェンド人に対して行なわれた北方十字軍の1つ。またこれは神聖ローマ帝国ドイツ王国en)が率いた第2回十字軍の一環でもあった。
12世紀始めまで、ブレーメンマクデブルクのドイツ大司教権力は平和的な手段により近隣の異教徒西スラヴ人にキリスト教に改宗するよう求めていた。しかし聖地へ向けた第2回十字軍の準備が行なわれる間に、対スラヴ人の十字軍を支持する教皇勅書が発行された。
1147年6月、スラヴ人の族長ニクロトen)は機先を制してヴァグリア(Wagria)を侵略した。十字軍は1147年の晩夏に進軍を開始しドービンen,de)のスラヴ人を表向き洗礼させるのに成功したが、デミンen)からは撃退された。目標を変えた十字軍はキリスト教化済みのシュチェチンへ進軍したが、これは到着と同時に解散した。
主にザクセン人デンマーク人で構成された十字軍は異教徒のスラヴ人に献納を強要し、ヴァグリアとポラビアに対するドイツの支配権を確認したものの、住人の大半をすぐに改宗させることは出来なかった。
== 背景 ==

10世紀の間オットー朝en)は神聖ローマ帝国が西スラヴすなわちヴェンドの土地へ向け東へと拡大するのを支持していた。これらはドイツ王ハインリヒ1世神聖ローマ皇帝オットー1世の提唱によるもので、オットー1世はソルブ人の領地内にあるドイツ占領地を守る為にブルクヴァルトen)を採用した。オットー1世の副官、辺境伯ゲーロ1世en)とヘルマン・ビルングen)はそれぞれ東と北へ進出し、征服したスラヴから献納を要求した。教会勢力はマイセンブランデンブルクハーフェルベルクde)、オルデンブルク・イン・ホルシュタインen、以下オルデンブルク)に司教区を置き領地を管理した。しかし987年にスラヴ人が大規模な反乱を起こし、ドイツの領地は以前に逆戻りした。ブルクヴァルトがザクセン人にマイセンの支配権の保有を認めたことで影響力は残したものの、ブランデンブルクとハーフェルベルクを失った。エルベ川が帝国の統制出来る東の境界となった。
12世紀始めまで、ブレーメンマクデブルクの大司教は平和的な手段で異教徒のスラヴ人をキリスト教化した。有名な伝道者にウィツェリンde)、クサンテンのノルベルトen)、バンベルクのオットーde)がいた。神聖ローマ帝国ザリエル朝en)の支援無しで世俗のザクセン君主たちはスラヴ人の領地を狙っていたが、軍事力を行使するのに手詰まりな状態である事に気付いた。ホルシュタインのキリスト教徒(特にザクセン人)と異教徒が互いにリーメス・サクソニアde)を越え襲撃し合ったが主な目的は献納だった。
1140年ないし1143年から、ホルシュタインの貴族は異教徒ヴァグリ族en)の定住地ヴァグリアへ進出した。ホルシュタイン伯アドルフ2世en)とハインリヒ・フォン・バドヴィーデen)は、後にリューベックラーツェブルクen)へ発展するポラーブ人の居住地の支配権を握った。アドルフ2世はオボトリート族同盟の盟主ニクロトとの間で平和を模索する一方、ヴァグリアのドイツ植民化とキリスト布教を奨励した。〔Barraclough, p. 263〕
1144年エデッサ伯国陥落はキリスト教世界に打撃を与え、教皇エウゲニウス3世クレルヴォーのベルナルドゥスがエルサレムの十字軍国家の拡充目的とした第2回十字軍を唱導した。多くの南ドイツ人が中東に向けた十字軍に志願したが、北ドイツ人であるザクセン人はこれに気乗りせず、1147年3月13日にフランクフルトで開かれた帝国議会で、ベルナドゥスにスラヴ人に対する軍事行動を起こしたいと言明した。ザクセン人の作戦に賛成した教皇エウゲニウス3世は「スラブ人に対する十字軍と聖地拡充の十字軍の双方で得られる精神的な救済に違いは無い」という教皇勅書を発行したが、これは『3月13日の完全なる神慮』(Divina Dispensatione)として知られている。スラヴ人に対する十字軍には主にデンマーク人、ザクセン人、ポーランド人が志願したが、中にはボヘミア人もいた。〔Davies, p. 362〕ドイツの諸侯はこの十字軍には参加せず、アスカーニエン家en)のバレンシュテット伯アルブレヒト熊公ヴェッティン家en)のマイセン辺境伯コンラート1世シャウエンブルク諸侯en)といったザクセン諸侯が主導し、〔Herrmann, p. 328〕教皇使節enハーフェルベルクのアンセルムスen)が命令を総括することになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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