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ボストーク2号(ボストーク2ごう、Vostok 2、ロシア語:Восток-2)は、ソビエト連邦の有人宇宙飛行で、長期間の無重力状態が人体に与える影響を調べるために、宇宙飛行士ゲルマン・チトフを乗せて軌道上を約1日飛行した。 ボストーク1号のユーリ・ガガーリンとは異なり、チトフは短期間の間、宇宙船の手動操縦も行った。また、地球や宇宙空間の撮影も行った。 宇宙酔いに罹ったこと、ヒーターが故障し、内部の温度が6.1℃まで下がってしまったこと、再突入モジュールの分離が予定通り行かなかったことを除いて、飛行はおおむね成功した。 次世代機ボスホートの開発に伴い、再突入カプセルは破棄された。 現在でもチトフは、宇宙飛行の最年少記録保持者である。彼は飛行当時、25歳11ヶ月だった。 ==飛行== チトフを乗せたボストークは1961年8月6日6:00(UTC)にバイコヌール宇宙基地を発射した。7:45(UTC)にはモスクワ放送の有名なアナウンサーであるユーリ・レビタンが打ち上げの様子を伝えた。 軌道に入るとすぐに、チトフは困惑を覚えた。彼は9:30(UTC)に昼食、14:00に夕食をとろうとしたが、6度目の周回の時に嘔吐した。 世界中のラジオで、9:30から10:00(UTC)の間にチトフの肉声が流された。9:00(UTC)に西ヨーロッパにさしかかると、パリ近くのムードン天文台ではチトフの声を、ロンドン郊外のロイター通信では19.995 MHzの無線標識信号を受信した。 バージニア州アーリントンのラジオパーソナリティーであるジェームズ・ダフィーは、ワシントンのソ連大使館が翻訳した、チトフからのアメリカ国民へのメッセージを受け取った。チトフが眠る前に最後に北アメリカを通過したのが14:50(UTC)なので、これはこの頃に15.765 MHzか20.006 MHzの周波数で、受けとられたはずである。BBCはチトフから電話を受け、船内の気温が22℃であることや彼のコールサインがOriel(オリョール、鷹)であるという報告を受けた。これ以降、チトフは場所に関わらず30分おきに短波ラジオで交信を行った。 チトフは1周目と7周目に手動で体勢の制御を行った。1周目が終わる頃の7:38(UTC)にチトフとニキータ・フルシチョフは挨拶を交わした。 チトフは15:16(UTC)にモスクワ上空を飛行している時、就寝の挨拶をし、15:30から23:37(UTC)まで眠った。しかし眠りに就く前にめまいと吐き気、頭痛を感じた。チトフは熟睡でき、睡眠時間を35分もオーバーしてしまうほどだったが、やはり気分は悪いままだった。しかし12周目の周回が終わる頃には体調も良くなった。2:45(UTC)に朝食をとった。 ストックホルム近郊にあるスウェーデン通信局では5:34から5:52(UTC)にかけて無線標識信号を受信した。日本の通信局は、7:10(UTC)にボストーク2号からの最後の信号を受信したと発表した。 再突入の際にはまたも再突入モジュールが外れず、チトフはガガーリンの時と同じ不安を味わった。大気の断熱圧縮による熱でやっとモジュールが外れ、再突入カプセルは無事に降下することができた。チトフはカプセルから射出され、パラシュートで7:18(UTC)に着地した。着陸の成功はラジオモスクワで9:04(UTC)に発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボストーク2号」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Vostok 2 」があります。 スポンサード リンク
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