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ヴォルガ・ブルガール王国 : ウィキペディア日本語版 | ヴォルガ・ブルガール
ヴォルガ・ブルガール(タタール語:、チュヴァシ語:、ロシア語:、英語:)は、7世紀から13世紀にかけて、 ヴォルガ川とカマ川の合流点周辺に存在した国家である。ヴォルガ・ブルガールの領域は、今日のロシア連邦内のタタールスタン共和国とチュヴァシ共和国の領域に相当し、ヴォルガ・タタール人、チュヴァシ人は、ヴォルガ・ブルガール人の末裔とみられている。 == 起源 == ヴォルガ・ブルガール人は自身について記録を残しておらず、大半の情報は同時代に存在したアラブ、ペルシア、インド、ルーシの史料や、考古学上の発見に頼っている。このためヴォルガ・ブルガールについての情報は限られた物になっている。 ヴォルガ・ブルガールの土地には当初フィン・ウゴル系の人々が定住していたと思われる。テュルク系のブルガール人は、大ブルガリアから分離し、660年ごろにクブラト(Kubrat)の息子コトラグ(Kotrag)に率いられアゾフ地方から西進を始め一部がその地に定住し、8世紀にヴォルガ川中流域(イディル・ウラル地方)まで辿り着き、9世紀の末になると現地の住民をまとめ支配していった。残りのブルガール人は西進を続け、今日のブルガリアのドナウ川流域まで移動し、現地のスラヴ人と融合または吸収され、南スラヴ語及び東方正教を採用し、その地にとどまった。
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