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ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツ : ウィキペディア日本語版 | ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツ[う゛わでぃすわふ2せいう゛ぃぐなにぇつ]
ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツ(ポーランド語:Władysław II Wygnaniec, 1105年 - 1159年5月30日)は、ポーランド大公、シロンスク公(在位:1138年 - 1146年)。ボレスワフ3世とキエフ大公スヴャトポルク2世の娘ズビスラヴァの長男として、クラクフで生まれた。亡命公(Wygnaniec)と呼ばれる。 == 生涯 ==
=== シロンスクの統治者 === ヴワディスワフは長男であったため、父は彼を進んで国政に参与させた。一部の歴史家はボレスワフ3世が死ぬより前にヴワディスワフにシロンスクを与え、自らの嫡系子孫に世襲の封土を確保することにした。 1125年頃、ヴワディスワフはオーストリア辺境伯レオポルト3世の娘アグネスと結婚した。この縁組によって彼は神聖ローマ帝国(ドイツ王国)と深い関係をもつようになった。アグネスは神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の孫娘で、国王コンラート3世の異父妹に当たっていたからである。ヴワディスワフのおかげで、シロンスクは1133年から1135年にかけてのボヘミア公国の攻撃を防衛することが出来た。彼はオドラ川を越えて攻め込んできたボヘミア軍を迎え撃ち、シロンスクの主要な地域の破壊を止めさせた。1137年、ニェムチャで開かれたボヘミアの支配者達との会議のさい、議論はあるものの、ヴワディスワフはボヘミア公ソビェスラフ1世の末息子ヴァーツラフ2世の洗礼の代父に選ばれたとされる。
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