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一志治夫 : ウィキペディア日本語版
一志治夫[いっし はるお]
一志 治夫(いっし はるお、1956年6月10日 - )は、日本ノンフィクションライター
== 来歴・人物 ==
長野県松本市で出生。生後すぐの1957年より東京都三鷹市下連雀に転居。1975年東京都立豊多摩高等学校卒。1977年早稲田大学教育学部社会科学専修入学、1982年7月中退。
在学中より執筆活動を始め、『月刊現代』記者などを経て、1989年3月『たった一度のポールポジション』(講談社)でノンフィクションライターとしてデビュー。1989年夏から1990年夏にかけて1年間イタリア・フィレンツェに滞在、F1やサッカーなど欧州スポーツの取材、執筆を行なう。

1994年、いわゆる「ドーハの悲劇」を軸にサッカー選手都並敏史を描いた『狂気の左サイドバック』で第1回小学館ノンフィクション大賞を受賞。2004年には植物生態学者宮脇昭の人生を描いた 『魂の森を行け-3000万本の木を植えた男の物語』を出版したが、後に宮脇昭が「3000万本の木を植えた男」と称されるようになったのは、この作品タイトルが由来とされている。

これまでに『週刊文春』、『週刊ポスト』、『週刊朝日』、『読売新聞』、『日経エンタテインメント!』、『Number』、『DIME』、『BE-PAL』、『ダ・ヴィンチ』、『BRIO』などで連載記事を執筆。その他、『文藝春秋』、『AERA』等各紙誌にも人物インタビュー、人物論などを掲載している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「一志治夫」の詳細全文を読む



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