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一条政親 : ウィキペディア日本語版
一条政親[いちじょう まさちか]

一条 政親(いちじょう まさちか)は、安土桃山時代の人物。土佐一条氏第7代当主。一条内政嫡男。名前は、父の偏諱「」と、外祖父である長宗我部元親の「」をそれぞれとったものであると言われているが、彼の実名を確定する史料はなく、「政親」の名前も後世の創作と言える〔秋澤繁「織豊期長宗我部氏の一側面-土佐一条氏との関係(御所体制)をめぐって-」(初出:『土佐史談』215号(2000年)/所収:平井上総 編『シリーズ・織豊大名の研究 第一巻 長宗我部元親』(戎光祥出版、2014年) ISBN 978-4-86403-125-7))〕。
== 生涯 ==
一条内政の嫡男として誕生。長宗我部氏の家臣久礼田定祐に養育され、このためか久礼田御所とも呼ばれた。
彼の存在が確定できるのは、『御湯殿の上の日記』天正14年12月22日条に「とさの一てう殿しょ大夫四位。せっつのかみ申」という記事である。この中で「とさの一てう殿」というのは土佐一条家当主を指し、父である内政は既に没して兄弟の存在は知られていないため、政親のことを指すと考えられている。なお、政親の四位叙位・摂津守補任が行われたのは戸次川の戦い(同月12日)の直後で、長宗我部氏の後継である信親は戦死、当主である元親も一時生死不明と大坂城豊臣政権に伝えられていたことが知られている。このため、元親・信親父子が揃って戦死が確認されて長宗我部氏の後継問題をきっかけに土佐国内が混乱した場合に備えて豊臣政権が土佐一条家を国主として復活させることも視野に入れた上での武家執奏が行われたとみられている(結局、元親の生存が確認されたためにそのような事態は発生しなかったが)〔。
関ヶ原の戦いに伴う長宗我部氏の没落後、京都大和国〔三訂増補 公卿辞典 本文編p.17では、「長曾我部氏亡びし後大和に移りしと」とある。〕に向かったとも、土佐国に住み続けたともいうが不明。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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