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一条能清 : ウィキペディア日本語版
一条能清[いちじょうのうきよし]

一条 能清(いちじょう よしきよ)は鎌倉時代前期から中期にかけての公卿歌人非参議藤原頼氏の次男。
== 経歴 ==
天福2年(1234年従五位下叙爵し、嘉禎3年(1237年侍従に任ぜられ、延応2年(1240年)に正五位下左近衛少将に叙任される。
仁治4年(1243年従四位下・左近衛少将となる。昇進は通常より遅れがちで、寛元5年(1247年)従四位上、建長6年(1254年)に正四位下となると、正嘉2年(1258年)に左近衛中将に任ぜられ、正元2年(1260年)に出羽権介を兼ねた後、文永6年(1269年)5月1日、従三位に叙せられて公卿に列した。建治3年(1277年)に侍従に任ぜられ、これを長きにわたって務める。
弘安2年(1279年)に正三位に昇叙。弘安4年(1281年)に土佐権守を兼ね、弘安8年(1285年)に従二位に叙せられた。正応4年12月(1292年1月)にさらに正二位に昇叙がなされ、永仁元年12月(1294年)に68歳にして参議に任ぜられた。永仁2年(1294年)に参議を辞退して伊予権守に任ぜられるが、永仁3年(1295年)9月1日薨去享年70〔。勅撰歌人であり、『続古今和歌集』以下の勅撰和歌集に27首が入集している〔『勅撰作者部類』。〕。
能基・能清兄弟は時の権力者である北条氏外戚としたため高位高官に昇った。しかし、能清以後の代に北条氏との婚姻は確認できず、曾祖父・能保より続く鎌倉幕府との関係が崩れて中御門流一条家は衰退の道を辿っていくこととなる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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