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釈 宗演(しゃく そうえん、安政6年12月18日(1860年1月10日) - 大正8年(1919年)11月1日)は、明治・大正期の臨済宗の僧。若狭国(現・福井県)大飯郡高浜村(現在の高浜町)の生まれ。出家前は一瀬常次郎。字は洪嶽、楞迦窟、不可往。号は洪嶽。 日本人の僧として初めて「禅」を「ZEN」として欧米に伝えた禅師として、よく知られている。 == 生涯 == *12歳の時、京都妙心寺の越渓守謙のもとで得度し、建仁寺や岡山県の曹源寺で修行する。 *1878年、鎌倉円覚寺の今北洪川に参じて印可を得る。禅道修行のかたわら慶應義塾で福澤諭吉に英語、洋学を学ぶ。 *1887年、慶應義塾別科を卒業し、29歳の時に福澤諭吉や山岡鉄舟のすすめもあり、セイロン島とインド、中国等アジア各国に留学。帰国後、神奈川県久良岐郡にある宝林寺の住持となる。 *1892年、34歳で円覚寺派管長に就任。 *1893年、福澤諭吉のバックアップにより渡米、シカゴで開催された万国宗教大会に参加した後、各国を巡遊し、インド経由で帰国した。 *1902年、円覚寺において最初のアメリカ人に対する禅指導を行なった。 *1903年、建長寺派の管長を兼務する。 *1904年、日露戦争が勃発し、従軍布教師となる。 *1905年、管長職を辞職し、鎌倉の東慶寺住職となる。 *1906年、再度渡米し、通訳として鈴木大拙を、侍者として千崎如幻を伴い、アメリカ人に対して禅指導を行なった。 *1914年、臨済宗大学の学長に就任。 *1916年、円覚寺派管長に再任される。徳富蘇峰主宰の碧巌会の講師をつとめ、政・財界、夏目漱石居士ら知識人への講義・指導を通じて多くの信奉者をもった。 *1919年 肺炎のため遷化〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)14頁〕、61歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「釈宗演」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Soyen Shaku 」があります。 スポンサード リンク
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