翻訳と辞書
Words near each other
・ 一澪かずや
・ 一濃度ディスク法
・ 一瀉千里
・ 一瀬クワ
・ 一瀬一二
・ 一瀬伝八
・ 一瀬信一
・ 一瀬勇三郎
・ 一瀬友里
・ 一瀬常次郎
一瀬栄正
・ 一瀬桑
・ 一瀬益夫
・ 一瀬直行
・ 一瀬礼旺
・ 一瀬隆重
・ 一灯園
・ 一灯大師
・ 一炊の夢
・ 一炭化ウラン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

一瀬栄正 : ウィキペディア日本語版
一瀬栄正[いちのせ ひでまさ]
一瀬 栄正(いちのせ ひでまさ、生年不明 - 天正4年(1576年11月11日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大村氏の家臣。前名は田中栄正。妻は中浦純吉の妹。子に一瀬治部大輔栄相
朝長純利と共に大村氏を支え、合戦で多くの戦功を挙げた。栄正の姓が一瀬となった由来は、大村氏に味方する長崎領主・長崎純景深堀純賢の攻撃を受けた際、援軍に駆けつけ、一瀬口で戦功を挙げたため、主君である大村純忠から「一瀬」の姓を賜ったからである。また、栄正は、永禄6年(1563年)に主君である大村純忠と共にコスメ・デ・トーレス神父から洗礼を受けた重臣25名の一人である。天正4年(1576年)没。
== 今富のキリシタン墓碑 ==
長崎県指定史跡である「今富のキリシタン墓碑」は栄正の墓碑であるが、2007年7月に大村史談会の調査で、墓碑上部に刻まれた「慶長19年」という年号と「庵□」(□は解読不能)という名前のような文字が刻まれていることが確認された。墓碑を調査した大石一久は栄正の子である栄相が、大村藩禁教政策が強化される中、母・中浦氏の墓碑に父・栄正の仏式戒名を刻み夫婦墓としたとしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「一瀬栄正」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.