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一瀬桑 : ウィキペディア日本語版
一瀬桑[いちのせくわ]

一瀬桑(いちのせくわ)は、山梨県西八代郡市川三郷町にある、養蚕クワ苗木原木である。
農林水産省によって品種名一ノ瀬と名付けられ日本全国に普及し、大正から昭和初期にかけ日本養蚕業発展に寄与した桑苗の親株原苗)である。山梨県指定の天然記念物
== 歴史 ==
1898年(明治31年)頃、西八代郡上野村川浦(現:市川三郷町)の一瀬益吉(いちのせ ますきち)が、中巨摩郡忍村(現:中央市)の桑苗業者から購入した、品種名「鼠返し」と呼ばれる桑苗の中から、通常の鼠返しとは異なる良質な苗木を3株発見した〔市川三郷町ホームページ 県指定文化財 一瀬桑の親株〕〔甲斐古文書研究会編『各駅停車全国歴史散歩/山梨県』河出書房新社、1983年 pp.100-101〕。
3つの苗木は枝の色合いから、シロキ(計2株)、アカギ(1株)と呼ばれるようになり、益吉はこれを原苗とし代出苗を繁殖母体として、自らの桑園で増やし近隣の村に配布した〔。
この個体は葉の質、収穫量ともに従来のものとは明らかに異なり、葉には光沢があり大きく、病害虫にも強い優れたものであった〔。1916年(大正5年)に行われた西八代郡農会主催の「桑園品評会」に出品、さらに同年大日本蚕糸会山梨支会主催の「第三回蚕糸品評会」において、優等賞が下賜され一躍日本全国に知られるようになった。養蚕業が日本の外貨獲得のための輸出産業として盛んに行われていた頃でもあり、一瀬益吉によって見出されたこの桑は農林水産省により、一瀬の姓を冠した一ノ瀬品種名 ICHINOSE 和名 一ノ瀬 旧 蚕糸・昆虫農業技術研究所〕を栽培品種名として正式に登録され、またたく間に日本全国に普及していった〔。
品種登録後、シロキは一瀬の青木、アカギは一瀬の赤木と呼び変えられるようになった。
一瀬益吉は生涯を桑園の改良、製糸工場設立など養蚕振興に尽くし、1921年(大正10年)5月28日に55歳で死去した〔山梨日日新聞社編 『山梨 歴史カレンダー』 p.159〕。
また、益吉の功績を称える『一瀬桑由来碑』が1941年(昭和16年)に甲府舞鶴城公園に建立され〔、1948年(昭和23年)9月14日には「山梨県に於ける蚕糸・絹業関係御視察」の一環として貞明皇后が訪れ、皇后により一瀬桑の記念植樹が行われた。1976年(昭和51年)2月23日に、一瀬クワの指定名称で山梨県の天然記念物に指定されている〔 山梨県/山梨県の文化財リスト史跡・名勝・天然記念物〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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