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一筆斎文調 : ウィキペディア日本語版
一筆斎文調[いっぴつさい ぶんちょう]
一筆斎 文調(いっぴつさい ぶんちょう、生没年不詳)とは、江戸時代浮世絵師
== 来歴 ==
狩野派の石川幸元(ゆきもと)の門人とされる。姓は守氏。宝暦10年(1760年)頃から黒本や読本の挿絵を手掛け、次いで勝川春章と共に似顔絵様式を敷衍し、形式化したこれまでの役者絵に新風を巻き起こし、明和後期から安永初期の役者絵をリードした。役柄の本質を役者の僅かな表情や挙措に読み取り表現する描写力は他の絵師に勝り、個性的な文調独特の世界を創造している。浮世絵全体の作品量は少なく、肉筆浮世絵に関してはさらに少ない。
明和期になると遊女ばかりでなく、市井の評判娘が浮世絵によく描かれるようになった。文調は美人画にも優れており、なかでも谷中笠森稲荷の参道にあった水茶屋の鍵屋のお仙(笠森お仙)という娘は、文調や鈴木春信によって多く描かれ、明和5年(1768年)には江戸中の評判となり、戯作や芝居、童謡にも歌われたほどであった。「かぎやおせん」は重要美術品になっている。美人画は春信や礒田湖龍斎、勝川春章らと合作もしている。さらに明和7年(1770年)に春章と合作した役者色摺絵本『絵本舞台扇』(大英博物館所蔵)は良く知られており、この『絵本舞台扇』全106図のうち、文調が57図、春章が49図を描いた。また肉筆作品も若干残している。安永2年(1773年)に歌舞伎役者の吾妻富五郎と大谷谷次によって奉納された絵馬「市村座七俳優図」(新宿 十二三熊野神社所蔵)、「人待つ傘図」(浮世絵太田記念美術館所蔵)、「笠森稲荷社頭図」(出光美術館所蔵)などは良く知られている。前述の「人待つ傘図」は「雪待つ傘図」とも言い、慶子こと初代中村富十郎の俳賛「妹か手に雪待傘の撓みけり」からつけられた画題である。しかし文調の人気は明和6-7年(1769年-1770年)が最盛期であり、明和8年(1771年)頃より人気はより写実的な春章に移っていった。文調は安永1年(1772年)を最後に役者絵美人画制作を止めている。その後の動向は全く不明である。忌日は6月12日とされる。
門人に岸文笑柳文朝玉川舟調がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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