|
小林 源文(こばやし もとふみ、1951年1月28日〔小林源文オフィシャルサイト:ゲンブンワールド 1999年〕 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。福島県生まれ、小学校低学年から東京育ち、東京都在住〔。戦場劇画の第一人者〔第8回 小林源文 まんてん インタビュー〕。『黒騎士物語』『Cat Shit One』などを発表〔。中西立太に師事し、共著の『壮烈!ドイツ機甲軍団』でデビュー〔。2008年に個人で『GENBUNマガジン』を創刊〔。出版社カンプグルッペ・ゲンブンを経営〔。 == 人物 == 1951年、警察官の両親の間に生まれる。母は元看護婦で、戦後福島県警の婦人警察官第1号となった人物である。父は戦争中帝国陸軍の憲兵だったが、終戦後警察官となった。父は問題を起こして警察を辞め、その後の再就職先でもトラブルが絶えず、職を転々としていた〔小林源文『ゲンブンマガジンVol.001 』 ゲンブンマガジン、2009年1月、〕。 イラストレーターの中西立太に影響を受けて、絵の世界を目指す。絵の勉強の為に、中西に弟子入りを申し出るが断られる。しかし、中西よりはいつでも仕事場に遊びにきて良いとの許可をもらっており、見様見まねと独学で絵の勉強をした。 プロデビューは師と仰ぐ中西立太との共同執筆の『壮烈!ドイツ機甲軍団』であり、小林が24才のときであった。その後、一旦はプロ活動を休止するが、月刊ホビージャパンの連載で人気が確立すると、サラリーマンを退職しプロの漫画家としての活動を開始した〔。十数年前間、会社で運転手をしていたが、クリスマスにバイクの自損事故を起こし、職場に戻ったらクビになっており、そのまま絵に専念するようになる〔漫画スーパーテクニック講座〕。 作風としては、戦争劇画ともいえる作風で、戦争を題材とした劇画を描く漫画家としては第一人者とも呼ばれる。小林自身は元々は漫画家を志していたのではなく、挿絵画家を目指していたこともあり、〔緻密な画風を得意とし、スクリーントーンは使わず、薄墨による独特のタッチを用いている。 絵へのこだわりが強い為か、昨今才能があるイラストレーターが誰も育ってないと危惧しており、自ら本物の絵描きを育てたいという目的で、アートスクールを開講し後進の指導にも努めている。〔小林源文オフィシャルサイト:ゲンブンワールド 1999年〕 趣味は小学生以来の映画鑑賞、現在の仕事のベースになっていると本人は認識している。〔小林源文オフィシャルサイト:ゲンブンワールド 1999年〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林源文」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Motofumi Kobayashi 」があります。 スポンサード リンク
|