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一色範勝[いっしき のりかつ]
一色 範勝(いっしき のりかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士、旗本。式部一色氏当主。以心崇伝は従兄弟。石高は2000石。 ==略歴== 慶長16年(1611年)に徳川家康に拝謁し、それより家康に仕える。元和2年(1616年)、駿府での饗宴の配膳の役目を申し付けられたが、その際永井直勝に「位官の無い者が諸大夫(従五位下)・侍従と並んですべきことではない」と言上される。これに対し家康は、「一色家が名家であることは周知のことであるから、現当主に現在官位が無くてもこの役目に就くことは問題ではない」とし、範勝は役目を務め上げた。 徳川家の祖である松平信光の正室は一色氏である。徳川家康の産まれた三河国は一色氏が代々守護を務めた歴史があり、応仁の乱以後は三河に守護は置かれなくなったが、一色氏の三河守護代であった西郷氏(菊池西郷氏)は三河に残り、徳川家と深い姻戚関係となった。岡崎城は西郷氏が築いた城としても知られる。 その後、範勝は江戸城の書院番の番士となり、寛永9年(1632年)には御使番の番士となる。また同年、従五位下式部少輔に叙任された。寛永10年(1633年)、53歳で死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一色範勝」の詳細全文を読む
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