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一色義喬[いっしき よしたか]
一色 義喬(いっしき よしたか)は、安土桃山時代から江戸時代の武士。 子孫が提出した由緒書及び足利家菩提寺である鑁阿寺(現在の栃木県足利市)文書で、室町幕府最後の将軍である足利義昭の子と伝承される人物である。 == 経歴 == 義昭近臣の一色藤長に近江国東坂本で養育され、一色姓を称したといわれる。後陽成天皇と面識があったらしく、和歌一首をもらったという。 大坂の陣があるのを聞きつけ、慶長19年10月1日(1614年11月2日)に家来の日置権之丞及び白杉隼人を通して、江戸幕府に都合47人、総人数534人の『家来連判帳』を提出して徳川軍に参加しようとした。幕府側の安藤治右衛門から鑓二筋をもらったものの、出陣前に大坂城が落城して参加できなかった。その後、徳川家康が京都西岡領にて3万石与えようと持ちかけるが、武功がないどころか参戦に間に合わないで3万石もらうのは恐れ多いとして辞退し、坂本に帰ったという。ちなみに鑁阿寺の文書にも『家来連判帳』についての記述がある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一色義喬」の詳細全文を読む
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