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一色詮範 : ウィキペディア日本語版
一色詮範[いっしき あきのり]

一色 詮範(いっしき あきのり)は、南北朝時代武将守護大名一色氏6代当主。
== 生涯 ==
興国元年/暦応3年(1340年)頃の生まれとされており、元服時には室町幕府2代将軍足利義詮より偏諱を受けている。
永徳元年/弘和元年(1381年)、幕府の侍所頭人に任じられ、3年間同職を務める。嘉慶2年/元中5年(1388年)、父・一色範光の死により家督を継ぎ、三河国若狭国守護に補任される。
明徳2年/元中9年(1391年)、山名氏清満幸が幕府に対して挙兵した明徳の乱で幕府方に与して武功を挙げ、尾張国知多郡海東郡の分郡守護に任じられる。翌年には子の満範丹後国守護に補任された。
応永2年(1395年)、3代将軍足利義満(義詮の子)の出家に伴い剃髪し、信将(しんしょう)と号した。応永6年(1399年)に大内義弘が挙兵した応永の乱でも幕府方に属して武功を挙げた。同年8月、若狭守護代の小笠原明鎮を解任した。詳細は不明だが守護代小笠原氏との間で確執が生じる事情があったようである。ただし、明鎮は三河守護代は解任されていない。小笠原氏との対立は子の満範の代になって頂点に達する。
応永13年(1406年)6月7日死去。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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