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イオン一関店[いおんいちのせきてん]

イオン一関店(イオンいちのせきてん)は岩手県一関市山目字泥田にある総合スーパー(GMS)である。
==歴史・概要==

===一関ショッピングデパート千葉久===

1975年(昭和50年)に地場資本の老舗百貨店であった「千葉久」〔と提携して〔『岩手年鑑 昭和52年版』 岩手日報社、1975年。〕、一ノ関駅前の大町商店街と駅前通りの交差点角に店舗を移転し〔、「一関ショッピングデパート千葉久」を開業したのが始まりである〔。
この店舗は〔地下1階・地上5階建てで〔“マンション建設へ 一関中心部の千葉久跡地”. 岩手日報 (岩手日報社). (2007年2月16日)〕、都会的な感覚を持ち込んだ売り場構成を行って地元の小売業者に大きな影響を与えるとされていた〔。
当店と共に一関では三大百貨店として並び称された「東光デパート」は〔「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 3 岩手県』 角川書店、1985年3月8日。ISBN 978-4040010304〕、当店から大町商店街を通って約300mの場所に位置していたが〔、1978年(昭和53年)11月に倒産した〔三家英治 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985年5月。ISBN 978-4771002906〕。
この「東光デパート」の跡地には、八戸市の老舗百貨店の三春屋が進出したが、1981年(昭和56年)4月に同社が一関店を含む4店舗を「ダイエー」に譲渡して撤退し〔『日本の歴代市長 市制施行百年の歩み』 歴代知事編纂会、1983年11月。〕、1985年(昭和60年)には「ダイエー一関店」が開業し〔平岡昭利 『東北地図で読む百年』 古今書院、2000年12月。ISBN 978-4772250528〕.
このダイエーの開業により、同店との間にある約300mの大町商店街を買い物客が流れるルートが出来上がっていった〔。
「一関ショッピングデパート千葉久」は〔、1997年(平成9年)9月に一関ICに近い郊外の国道沿いに〔“一関商圏(中)人の流れ中心部を離れる”. 岩手日報 (岩手日報社). (2003年10月7日)〕「一関サティ」が開業するのに伴い〔“一関商圏(下)中心商店街の活性化”. 岩手日報 (岩手日報社). (2003年10月8日)〕、1997年(平成9年)8月に閉店してその歴史に終止符を打った〔〔。
なお、「株式会社千葉久友の会」は1978年(昭和53年)2月に「株式会社ピープル」へ社名を変更して同年4月に「ニチイグループ」のスポーツクラブ事業を讓受して事業転換し〔『会社年鑑 全国上場会社版 下巻 2006年版』 日本経済新聞社、2005年10月。〕、「マイカル」の子会社として東京証券取引所第1部へ上場した〔“マイカル、ピープルをコナミに売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年2月2日)〕。
その後、2001年(平成13年)6月に「コナミスポーツ株式会社」となり〔2006年(平成18年)3月にコナミスポーツ&ライフとなっている〔『第40期有価証券報告書』 コナミ、2012年6月29日。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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