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一須賀古墳群(いちすかこふんぐん)は、大阪府南河内郡河南町一須賀、東山、太子町葉室にわたる丘陵上にある古墳群。 ==概要== *6世紀前半から7世紀中頃にかけて築かれた、23支群・総数262基からなる古墳群である。 *高安古墳群・平尾山古墳群とともに、大阪府における三大群集墳と呼ばれる。 *ほとんどが直径10メートルから20メートルの円墳であるが、方墳も一部見られる。 *大半が横穴式石室であり、一部に木棺直葬、石棺式石室なども見られる。 *最大規模のWA1号墳(直径30メートルの円墳、現存しない)には、横穴式石室に組合せ式家型石棺が1体埋葬され、副葬品として須恵器、土師器、ミニチュア竈、純金製耳環、ガラス玉(青色34、黄色70)、金銅製冠片、金銅製履片、金銅装単龍環頭大刀柄頭片、馬具、環状金具、鉄刀、鉄刀子などが見つかっている。 *かなりの古墳において、ミニチュア炊飯具型土器(調査された48基中14基)や韓式系土器が副葬されており、また、朝鮮半島の影響を受けたと見られる玄室の床面が羨道部の床面より低い構造をもつ横穴式古墳があることから、渡来系氏族、特に百済・漢人系氏族との関連が指摘されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一須賀古墳群」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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