|
丁 來赫(チョン・レヒョク、、1926年1月17日- )は大韓民国の軍人、政治家。創氏改名時の日本名は玉岡聖賢。本貫は羅州丁氏()。号は石淵()。 == 経歴 == 1926年1月、全羅南道谷城に生まれる。光州中学校卒業。1945年、陸軍士官学校第58期卒業。全州の連隊作戦科で勤務中に終戦を迎えた。 帰国後は警察に入るが、1946年2月3日付で軍事英語学校を卒業して少尉に任官(軍番10040番)、第3連隊の創設に参加。しかし米軍顧問と衝突して辞職、再び警察に入る。1948年8月、警備士官学校卒業、任少尉(軍番11547番)。陸軍士官学校教官を経て1949年に陸軍参謀学校教官。 1950年6月10日、陸軍本部作戦課長。6月30日、臨時編成軍司令部付参謀。7月下旬に臨時編成軍司令官の蔡秉徳少将が戦死すると陸軍本部作戦課長に復帰。9月1日、第3師団参謀長。 1951年1月、第3軍団作戦主任参謀。3月、陸軍本部作戦課長。7月、参謀総長付秘書室長。 1952年6月、アメリカ陸軍指揮幕僚大学に留学。 1953年9月、歩兵学校副校長。 1954年4月、第3師団副師団長、6月に師団長に就任。8月、歩兵学校長。 1956年4月、第27師団長。11月、陸軍本部作戦局長。 1958年9月、軍需参謀部次長。 1959年5月、国防部総務局長。 1961年、国防大学院卒業。5月16日、軍事革命委員、国家再建最高会議最高委員。5月20日、商工部長官。 1962年7月、第1軍副司令官。 1963年、第6軍団長。 1964年、陸軍士官学校校長。 1966年、第2軍司令官。 1968年、予備役編入。韓国電力会社社長。 1970年3月、国防部長官。 1971年8月25日、実尾島事件の責任を負って国防部長官を退く。 1972年、第9代国会議員(ソウル城北区、民主共和党)。 1978年、第10代国会議員(ソウル城北区、民主共和党)。 1980年、立法会議副議長。 1981年、第11代国会議員(全南谷城・潭陽・和順区、民主正義党)。 1983年、民主正義党代表委員。 1984年、税務調査により不正蓄財が発覚し、丁は不正蓄財によって集めた金を国に貢献した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丁來赫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|