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丁型海防艦(ていがたかいぼうかん)は、日本海軍が第二次世界大戦において運用した海防艦の艦級である。主に船団護衛に用いられた。基本計画番号はE22。量産性を最重視し、丙型海防艦と同じく、それまでの日振型・鵜来型より、一層の小型化・簡略化が進められている。なお「丁型」の名称は計画時の呼称であり各書籍などで普遍的に用いられているもの〔海人社刊 世界の艦船 増刊第45集『日本海軍護衛艦艇史』、潮書房刊 丸スペシャル 日本海軍艦艇シリーズNo. 29『海防艦』など。〕だが、海軍が定めた艦型名は第二号型海防艦である〔海軍大臣官房発行『内令提要』第13類「艦船」の【艦艇類別等級】(昭和18年12月22日付 内令第2776号に係る改訂分以降に収録)および本艦型艦名の加除に係る各内令による。〕。同型艦は67隻が竣工した。 == 概要 == 日本海軍は、第二次世界大戦の後期に、大量の護衛艦を必要としていた。択捉型以降、対潜・対空性能および量産性を重視した海防艦を建造しようと努力し、かなり簡略化が進められた日振型海防艦・鵜来型海防艦を建造するに至った。しかし、戦況の悪化に伴い、さらなる護衛艦艇の増強が求められたため、小型化、艦型をさらに簡略化し、量産性に適した艦を建造することとなった。 この際、まずディーゼル機関を搭載した丙型海防艦の建造計画が立てられたが、機関の生産能力の不足により、必要量を満たせない可能性があった。そのため、ほぼ同じ大きさの艦体に、ディーゼル機関ではなく蒸気タービン機関を搭載した本型の建造計画も立てられた。 設計は、1943年6月に開始され、7月には完了した。機関は、戦時標準船向けに生産されていた蒸気タービン機関が使用された。丙型海防艦のディーゼル2基合計1,900馬力に対し、蒸気タービン1基2,500馬力と出力は向上している。それにより、最高速力は17.5ノットと向上したが、タービン機関はディーゼルより燃費が悪く、所要航続距離の4,500海里〔ボルネオ島-日本本土間の距離3,000海里に、戦闘等による航程増加を5割増しと見込んで加えたもの〕を達成するために、240トンの燃料を搭載した〔丙型の燃料搭載量は106トン〕。対潜兵装は充実しており爆雷搭載量も120個と多い。 艦名は一番艦が第二号海防艦と命名され、その後は偶数番号が付けられた(奇数番号は丙型海防艦へ付けられた)。 一番艦は1943年10月に起工し、1944年2月には竣工している。最短で起工から竣工まで74日の艦があり、量産性の確保には成功している。143隻の建造計画が立てられたが、63隻が戦争中に完成し、戦後に復員輸送用に4隻が完成している。戦歴は激しく、25隻が戦没している。戦後、掃海艦や特別輸送艦の指定を受けた各艦は「海第何号」と改称のうえ各々の任務に従事した〔昭和20年12月20日付 第二復員省 内令第12号。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丁型海防艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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