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七ッ海操 : ウィキペディア日本語版
七ッ海操[ななつうみ みさお]
七ッ海 操(ななつうみ みさお、本名:野口 操(のぐち みさお)、1927年10月18日-1994年12月24日)は、1950年代に活躍した茨城県猿島郡七郷村(※現役当時、現・同県坂東市大谷口)出身の大相撲力士立浪部屋に所属していた。最高位は西前頭12枚目(1954年5月場所)。現役時代の体格は188cm、109kg。得意手は左四つ、吊り、小股掬いなど。
== 来歴・人物 ==
小学校を卒業後、地元の消防署に勤務していたが、19歳の時に立浪部屋へ入門。1947年6月場所で初土俵を踏んだ。
当初の四股名は、本名と同一の「野口」。その後「七ッ海」に改名したが、これは、故郷の猿島郡七郷村に因んでいる。
以来、恵まれた体躯を生かして順調に出世し、1952年9月場所で新十両に昇進。
1954年1月場所では新入幕を果たし、以後は幕内下位から十両で長く活躍した。
長身を利した吊り寄りの攻めを得意としたが、足腰が脆く、そのために力士としては大成できなかった。
取り口や体格が、戦前の幕内力士・大浪高嶋部屋)によく似ていたという。
1959年9月場所後、31歳で廃業し、以後は東京都葛飾区立石にて相撲料理店「七ッ海」を営んだ。
1994年12月24日、逝去。享年67。
なお、「七ッ海」は現在(※2014年現在)、遺族(長男・長女)が経営している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「七ッ海操」の詳細全文を読む



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