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七ヶ宿ダム : ウィキペディア日本語版
七ヶ宿ダム[しちかしゅくだむ]

七ヶ宿ダム(しちかしゅくダム)は宮城県刈田郡七ヶ宿町大字渡瀬、一級河川阿武隈川水系白石川に建設されたダムである。
国土交通省東北地方整備局が管理する国土交通省直轄ダムで、堤高90.0mのロックフィルダムである。阿武隈川水系のダムでは摺上川ダム福島県福島市)に次いで規模の大きいダムで、宮城県最大のダムでもある。白石川及び阿武隈川下流の治水と宮城県中央部への利水を図る特定多目的ダムであり、釜房ダム(碁石川)などと共に東北最大の都市・仙台市の水がめの一つである。ダムによって形成された人造湖七ヶ宿湖(しちかしゅくこ)と呼ばれ、2005年(平成17年)に七ヶ宿町の推薦を受けて財団法人ダム水源地環境整備センターが選定する「ダム湖百選」に選ばれている。
== 沿革 ==
阿武隈川水系は阿武隈高地の広範な部分を流域に持つ。中流域には蓬莱や信夫山、さらに阿武隈ラインといった狭窄部があり、これがスムーズな河水流下阻害の原因となって度々福島市郡山市は水害の被害を受けていた。また、下流部の角田市白石市も上流からの洪水が押し寄せることから水害の被害を受けていた。特に戦後では1947年(昭和22年)のカスリーン台風1947年(昭和23年)のアイオン台風1950年(昭和25年)8月豪雨において被害は目を覆うばかりであった。このため阿武隈川は度重なる河川改修を行ったが、それでもなお洪水の被害は軽減しなかった。このため建設省(現・国土交通省)は1966年(昭和41年)に阿武隈川水系を一級水系に指定、国直轄による総合的な治水整備を画策した。
一方宮城県内では仙台市の人口が急増、さらに1964年(昭和39年)には仙台湾沿岸が新産業都市の指定を受けたことで急速に工業地帯の拡充が生じ、上水道工業用水道の整備が必要となった。このため建設省は1961年(昭和36年)に大倉ダム大倉川)を、1971年(昭和46年)には釜房ダム(碁石川)を完成させて仙台市の水需要に対応したが、人口増加は留まることを知らず、このままでは水需給のバランスが崩れ水不足を招くことから。さらなる水資源整備が不可欠となった。加えてササニシキなどで一躍有名となった仙台平野の穀倉地帯拡大も、農業用水の不足を招きつつあった。
こうした経緯を踏まえ、阿武隈川水系においても多目的ダムによる河川総合開発事業が計画された。阿武隈川本川は水力発電用として蓬莱ダムと信夫ダムが建設されていたが何れも小規模であり、治水・利水に必要なだけの貯水容量を確保するだけの適当なダム地点は、水没物件の点などから存在しなかった。このため必然的に支流へのダム計画となり、注目されたのが阿武隈川最大の支流である白石川と、郡山市で阿武隈川に合流する阿武隈川水系第2位の支流大滝根川であった。1974年(昭和49年)、阿武隈川水系の治水・利水基本計画である「阿武隈川水系工事実施基本計画」が策定され、正式に白石川と大滝根川に特定多目的ダムの建設が決定した。
この計画に基づき阿武隈川下流部の治水・利水対策として白石川に七ヶ宿ダムが、郡山市・福島市など中流部の治水・利水対策として大滝根川に三春ダムが着手されたのである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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