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七宝行者 : ウィキペディア日本語版
果心居士[かしんこじ]
果心居士(かしんこじ、生没年不詳)とは、室町時代末期に登場した幻術師七宝行者とも呼ばれる。織田信長豊臣秀吉明智光秀松永久秀らの前で幻術を披露したと記録されているが、実在を疑問視する向きもある。
==概要==
安土桃山時代末期のものとされる愚軒による雑話集『義残後覚』には、筑後の生まれとある。大和興福寺に僧籍を置きながら、外法による幻術に長じたために興福寺を破門されたという。その後、織田信長の家臣になりたいという思惑があったらしく、信長の前で幻術を披露して信長から賞賛されたが、仕官は許されなかったと言われている。
また、江戸時代柏崎永以の随筆『古老茶話』によると、慶長17年(1612年7月に、因心居士というものが駿府徳川家康の御前に出たという。家康は既知の相手で、「いくつになるぞ」と尋ねたところ、居士は88歳と答えた。また、小泉八雲の『日本雑記』に『果心居士の話』があり、果心居士が絵の中から船を呼び出し、船に乗り込むとそのまま絵の中に消えていったという。また天正12年(1584年6月、豊臣秀吉に殺害された説もある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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