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七条 兼仲(しちじょう かねなか、生年不詳 - 天正10年(1582年))は、戦国時代の武将。阿波国板野郡七条城城主。別名、孫次郎、求馬。阿波国の国人。七条敏仲の子。 == 生涯 == 七条氏は小笠原氏の支流である。天文23年(1554年)に誕生したとの記録もあるが、父の没年(1552年)と計算が合わないので誤記載と思われ、それ以前の生まれと推測される。 怪力無双の勇将として知られ、数々の合戦で武勇を馳せたという。天正10年(1582年)、長宗我部元親と十河存保が戦った、中富川の戦いで十河氏側に属して戦死した。 その最後については、篭城中に戦死したとする説と、野戦で討ち死にしたとの二説がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「七条兼仲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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