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万人坑(まんにんこう)とは、中国などにより、満州を中心とする中国各地に存在する、日本人経営の鉱山や工事現場の使い物にならなくなった中国人労働者が生き埋めにされた「ヒト捨て場」とされるもの〔中嶋嶺雄 編『歴史の嘘を見破る 日中近現代史の争点35』文藝春秋〈文春新書〉2006年5月、116頁。〕。中国語の坑は、生き埋めの意味があり、犠牲者の数を指して万人坑という。 ==概要== 1971年(昭和46年)、本多勝一により朝日新聞での連載「中国の旅」で取り上げられ知られるようになった。 連載では、撫順炭鉱などで栄養失調やケガ、病気などで使い物ならなくなった労働者が生き埋めにされ多数の犠牲者が出たとし、犠牲者が埋められたとする場所を万人坑という名の「ヒト捨て場」であるとした。 さらに、南満鉱業の「万人坑」の上に記念館が建設され、累々とした白骨遺体が展示、公開された。 以降、毎日新聞などで同様の報道が続き、後に削除されたが日本の高校用歴史教科書にも一時掲載されるに至った。 関係者による事実無根との抗議が朝日新聞社などに寄せられたがそれらは無視され、加害者とされた関係者への取材もなされなかった。 その後も新たに中国東北部の60ヶ所余りが万人坑とされた。田辺敏雄は撫順炭鉱や鶴岡炭鉱など六企業の勤務経験者を中心に約300人以上に連絡を取り、アンケート調査などを行い資料にも当たった。しかし、目撃証言は一切なく、現地人への残虐行為についても全員が否定した。 また田辺の調査後、撫順炭鉱の社友会が全会員1000人の調査を行い、同様の結論を出している。 さらに、戦後、国民政府によって行われた満州唯一の戦犯裁判である瀋陽裁判において、同容疑で刑を科せられた例が一例もなく、取調べや逮捕された例もなかったため、田辺は中国の捏造であると結論している〔中嶋嶺雄 編『歴史の嘘を見破る 日中近現代史の争点35』文藝春秋〈文春新書〉2006年5月、116-118頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「万人坑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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