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万俟 普(ぼくき〔「万俟」を「ボクキ」と読むのは、この複姓(漢姓を参照)においてのみ見られるものである。〕 ふ、生没年不詳)は、中国の東魏の軍人。字は普撥。本貫は太平郡。先祖は匈奴の別種であると伝わる。 523年、破六韓抜陵が乱を起こすと、万俟普は太尉に任じられた。部下を率いて北魏に降り、後将軍となり、第二領民酋長となった。531年、高歓が起兵すると、万俟普は高歓とよしみを通じた。534年、斛斯椿が孝武帝に迫って長安にうつると、万俟普は司空・秦州刺史に任じられ、覆靺城に駐屯した。536年、高歓が夏州を平定すると、万俟普は部下を率いて高歓に帰順し、河西公に封じられた。東魏の太尉・朔州刺史を歴任して死去した。 子に万俟洛があった。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「万俟普」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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